『大日本史料』 5編 12 暦仁元年10月~仁治元年8月 p.349

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

三代の名かきてあり、, この所を廣瀬と云、淀川の一のひろみゆゑに云か、今水無瀬と云は小名に, 畫の墨繪の御影あり、禁中より鳳輦を被遣、それが厨子になりてあり、さて, るべし、此所にて水無瀬殿へ五百石領せらる、, 岸より八幡の方へ渡る所へ、古へ橋ありたとみゆ、それ水無瀬の橋と云な, まじき程に、その方歸洛にてあらば、水無瀬に御廟をたてよとの事なり、さ, 水無瀬殿の一代、後鳥羽院配所へ御供、御病氣もはや此度は、御本復もある, 印にて遺誡と云ふ、古は此外にも宸筆多し、中古炎上すとなり、堂内に御自, 宸筆の四尺餘の卷物今に水無瀬にあり、奧に御手印あり、それにより御手, て、御廟の所へゆくみそ川の橋を云、されどもそれにてはあるまじ、此所の, て萬事御終焉のあとの事、遂一あそばされたる御遺誡と云もの、かなにて, がこの氏久なり、氏久、氏遠、經久とつゞく、後鳥羽院の宸翰共のつぎ目に、此, 氏久と云が、上賀茂の松下の一代にて、後鳥羽院の御子也、氏王と幼名を云, 〔本朝畫史〕上古畫録後鳥羽院、高倉院第四皇子也、製和歌冠千古矣、多能, 〔本朝畫史〕, 上古畫録, 延應元年二月二十二日, 三四九

割注

  • 上古畫録

  • 延應元年二月二十二日

ノンブル

  • 三四九

注記 (18)

  • 1610,636,65,639三代の名かきてあり、
  • 762,644,79,2181この所を廣瀬と云、淀川の一のひろみゆゑに云か、今水無瀬と云は小名に
  • 881,638,81,2187畫の墨繪の御影あり、禁中より鳳輦を被遣、それが厨子になりてあり、さて
  • 387,649,65,1345るべし、此所にて水無瀬殿へ五百石領せらる、
  • 513,637,82,2194岸より八幡の方へ渡る所へ、古へ橋ありたとみゆ、それ水無瀬の橋と云な
  • 1368,641,84,2175まじき程に、その方歸洛にてあらば、水無瀬に御廟をたてよとの事なり、さ
  • 1485,633,86,2180水無瀬殿の一代、後鳥羽院配所へ御供、御病氣もはや此度は、御本復もある
  • 1002,639,84,2190印にて遺誡と云ふ、古は此外にも宸筆多し、中古炎上すとなり、堂内に御自
  • 1123,633,88,2192宸筆の四尺餘の卷物今に水無瀬にあり、奧に御手印あり、それにより御手
  • 640,643,83,2183て、御廟の所へゆくみそ川の橋を云、されどもそれにてはあるまじ、此所の
  • 1244,645,82,2173て萬事御終焉のあとの事、遂一あそばされたる御遺誡と云もの、かなにて
  • 1730,634,91,2176がこの氏久なり、氏久、氏遠、經久とつゞく、後鳥羽院の宸翰共のつぎ目に、此
  • 1850,629,92,2176氏久と云が、上賀茂の松下の一代にて、後鳥羽院の御子也、氏王と幼名を云
  • 244,592,102,2255〔本朝畫史〕上古畫録後鳥羽院、高倉院第四皇子也、製和歌冠千古矣、多能
  • 245,599,95,354〔本朝畫史〕
  • 250,1021,42,238上古畫録
  • 162,726,44,424延應元年二月二十二日
  • 182,2439,47,121三四九

類似アイテム