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三代の名かきてあり、, この所を廣瀬と云、淀川の一のひろみゆゑに云か、今水無瀬と云は小名に, 畫の墨繪の御影あり、禁中より鳳輦を被遣、それが厨子になりてあり、さて, るべし、此所にて水無瀬殿へ五百石領せらる、, 岸より八幡の方へ渡る所へ、古へ橋ありたとみゆ、それ水無瀬の橋と云な, まじき程に、その方歸洛にてあらば、水無瀬に御廟をたてよとの事なり、さ, 水無瀬殿の一代、後鳥羽院配所へ御供、御病氣もはや此度は、御本復もある, 印にて遺誡と云ふ、古は此外にも宸筆多し、中古炎上すとなり、堂内に御自, 宸筆の四尺餘の卷物今に水無瀬にあり、奧に御手印あり、それにより御手, て、御廟の所へゆくみそ川の橋を云、されどもそれにてはあるまじ、此所の, て萬事御終焉のあとの事、遂一あそばされたる御遺誡と云もの、かなにて, がこの氏久なり、氏久、氏遠、經久とつゞく、後鳥羽院の宸翰共のつぎ目に、此, 氏久と云が、上賀茂の松下の一代にて、後鳥羽院の御子也、氏王と幼名を云, 〔本朝畫史〕上古畫録後鳥羽院、高倉院第四皇子也、製和歌冠千古矣、多能, 〔本朝畫史〕, 上古畫録, 延應元年二月二十二日, 三四九
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- 上古畫録
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- 延應元年二月二十二日
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- 三四九
注記 (18)
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