『大日本史料』 5編 19 寛元3年5月~寛元4年2月 p.352

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〔増鏡〕, せさりしに、この三所の御後のみ、今に絶えす、御流久しき藤なみにて、立ちさかへ給へる, こそ、たくひなきやんことなさな〓めれ、末の世にもありかたくや侍らむ、今の攝政殿を, の御子師家の大臣、夢のやうにて、しかも一代にてやみ給ひにき、いつれも御末まておは, 道殿、これふた度なり、近くは法性寺殿の御子とも六條殿、基實、松殿、基房、月輪殿、兼實、これ, ふり給へりしはかりにて、七日にてうせ給ひにしかは、天下執行し給ふにおよはす、松殿, そやかて今の峰殿の御おほちよ、かやうの事、いとたま〳〵あれと、粟田殿も、宣旨かう, 〳〵におはしけれと力なし、御はらから三人まて、攝〓したまへためし、ふるくハ謙徳, 公、伊尹、忠義公、兼通、東三條ノ大入道殿、兼家、その又御子とも中關白殿、粟田殿、法成寺ノ入, は、後には圓明寺殿とそ聞ゆめりし、一條殿の御家のはしめなり、攝政にて二年はかりお, て攝政したまふ、いとめてたし、御兄の福光園院殿、もと關白にておはしつる、恨みてしふ, 三月廿七日、丙辰、雨降、參院、次參殿下、今夜氏院參賀也、權大納言實雄、已下參仕、依雨件, 衆經南庭、於西透廊再拜、勾當奉行、, 光明峯寺殿の御三郎君左大臣實經の大臣、御年二十四に, 已上二人同事仰事、下知所司了、, 職事ハ侍所別當、勾當侍所勾當也、, 寛元四年正月二十八日, ○上略、正月二十, 内野の雪, 九日ノ條ニ收ム, 五, 録ノ例, 兄弟三人攝, 氏院參賀, 寛元四年正月二十八日, 三五二

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  • ○上略、正月二十
  • 内野の雪
  • 九日ノ條ニ收ム

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  • 録ノ例
  • 兄弟三人攝
  • 氏院參賀

  • 寛元四年正月二十八日

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  • 三五二

注記 (26)

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