『大日本史料』 5編 20 寛元4年3月~同年10月 p.362

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仍資宣奉行、, しといへとも、冥にハ大明神の御めくみをあふき、顯にハ法皇の朝恩によりて身をたつ、, とかの尾の高辨上人、靈託をかうふることありしに、神の御めくみあつかるへき三人か, 南瞻部州大日本國佛子阿闍梨行惠、跪春日大明神寶前、〓首白言、夫春日大明神, 浴神徳、其性奸邪之輩、動蒙冥罰、加之昔天照大神勅天兒屋根命曰、同侍殿内、善爲, 入道前攝政道家、頼經還京ノコトニ依リ、願文ヲ春日社ニ納ム、, 十六日、, 者、大悲内催、專弘中宗之佛法、四所外顯、鎭護一族之家門、雖然其心貞直人、剩, 爰佛子行慧、曉の枕に夢さめて、つら〳〵一期の昇沈を思に、百千行のなみた雙襟をうる, 神恩のあつきことは、積善の餘慶の、祖父禪閤の功をたて徳たかゝりしかいたりなり、抑, 〔春日社記録〕六春日社御願書, 防護者、自介以降、政教之理亂、遞同某謀、君臣之禮議無變其節、, をす、喜も昔にこえたる喜ありき、憂も人にすきたる憂ありき、これ人間の常なりといへ, 十五歳にして祖父にわかれ奉る、養育の恩なを二親にこえたり、孤露にしてたのむ方な, とも、娑婆をいとふへきはしめなり、八歳にして悲母にをくれ、十四歳にして慈父にもす, {慧〕, 明惠上人事也、, 承元々年四月五日月輪殿薨給、(たてまイ), 申, (始イ)正治二年母能保卿女、元久三年三月七日後京極殿薨逝、, 壬, 寛元四年七月十六日, 三六二

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  • 承元々年四月五日月輪殿薨給、(たてまイ)
  • (始イ)正治二年母能保卿女、元久三年三月七日後京極殿薨逝、

  • 寛元四年七月十六日

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  • 三六二

注記 (23)

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