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降參とそ聞えし、此輩はみな去年關東より今に至まて、戰功を致す人々な, 崎より御船に召れし時は、土肥次郎實平、岡崎四郎義實以下、主從七人、安房, かりけり、去程に、供奉仕一方の大將共の中に、七八人京都へおもむくあり、, 上總を心さし給ひし、海上にては、三浦小太郎義盛參しける、誠に忠信とみ, しかりし事共也、雖然、昔治承に頼朝義兵の始、石橋の合戰に打負て、眞鶴か, たつと云て、追手なりけれは、寅の刻計に、播磨の室の津に御著ある、去夜兵, 計より、船共誰乘はしむとはなかりしかとも、大勢込乘ける有樣、あはたた, えしかは、頼母敷そおほしめされける、御ふね安房の國獵島に著けれは、時, 奧州征伐の時、七騎になり給ふ事あり、始の負は御當家の佳例也と、申輩多, 哀なれ、此等を見るにつけても、義を重くし命を輕くする勇士は、彌忠節を, 盡へき色をそ顯しける、戌の時計に御座船を出さる、俄に西風吹けり、是は, り、雖然、御方敗北の間、いつしか旗を卷、冑をぬき、笠印を改ける心中共こに, 庫にて御舟に乘おくれける人々、多く陸地を經て當所に馳參しける、忠節, 刻をうつさす、東八ケ國、殘らす相隨て、御本意を達せられき、又頼義義家も、, 尤神妙なり、相隨ひ奉る船三百餘艘也、此わたりは播磨の灘とて、順風なけ, 故事, 頼朝眞鶴, 蒼皇船ニ, 尊氏ノ軍, ヲ改ム, 崎乘船ノ, 上ル, 降人笠印, 當家ノ佳, ニ達ス, 初ノ負ハ, 例, 播〓室津, 延元元年二月十二日, 八四, 延元元年二月十二日
頭注
- 故事
- 頼朝眞鶴
- 蒼皇船ニ
- 尊氏ノ軍
- ヲ改ム
- 崎乘船ノ
- 上ル
- 降人笠印
- 當家ノ佳
- ニ達ス
- 初ノ負ハ
- 例
- 播〓室津
柱
- 延元元年二月十二日
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- 八四
- 延元元年二月十二日
注記 (31)
- 880,652,59,2214降參とそ聞えし、此輩はみな去年關東より今に至まて、戰功を致す人々な
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