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〔參考〕, 深草法華堂云々、澄俊法印御導師云々なとみえたるがことし、, 後伏見院天皇の御骨所、別に御堂を建給はす、後深草院法華堂に藏奉給ひ, 々、其後釋迦堂法輪等參詣歸了、又一獻とみえたるも、この嵯峨野なる御葬, 位下、建武二年正月五日敍從三位, とみえ、園太暦貞和四年四月六日の條に、今日後伏見院十三囘御忌辰也、幸, 所の御事とは伺はるれと、なほその御在所の慥に委く伺はれぬそ、いと畏, 御火葬所き、山城國葛野郡嵯峨野にあるへきを、今詳ならす、これ上にも引, 出たる皇年代私記に、同八日葬於嵯峨野とのみ見えて、其他の諸書に見當, しなり、今深草安樂行院の法華堂その御遺跡なり、これ皇年代私記に、延元, らす、嵯峨野の何處許ならむとも考かたし、たま〳〵看聞御記應永廿七年, 二月十日の條に、早旦御堂巡禮次、後伏見院御廟恭燒香申、須臾歸有盃酌云, 元年四月六日崩於持明院殿、同八日葬於嵯峨野、安仙骨於後深草院法華堂, 〔山陵考〕四深草法華堂, く悲しき、, 新院當, 年御給、, 深草法華, 御火葬所, 堂, 延元元年四月六日, 二九八
割注
- 新院當
- 年御給、
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- 深草法華
- 御火葬所
- 堂
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- 延元元年四月六日
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- 二九八
注記 (22)
- 1710,838,78,203〔參考〕
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