『大日本史料』 6編 40 応安7年正月~応安7年5月 p.180

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給ひし事を考合せて、深草に別に法華堂を建給はさりし趣を知へし、さて然六箇所に, 骨御灰家なとのみ殘り給へり、此帝の御分骨も雲龍院の後山におはしますこと、上に, きこえさるに、又中原師夏記同年三月廿六日の條に、舊院御遺骨被奉納所々、深草法, す、すべて此御寺にて御火葬の事、御代々に多かれとも、御遺跡傳はらす、たゝ御分, なといふ事もみえたり、御火葬所は愛宕郡泉涌寺境内にあるへきを、今は其所詳なら, ひて藏奉たまひたるは、この深草法華堂にて、是をそ主たる御陵とは崇奉給ふへき、, 然るに此法華堂は京より路の程遠く、泉涌寺の御分骨所は路も近く、かつは他の御陵, も藏奉給ひしかとも、そは他の諸書にも載られす、主たる御陵と藏奉給ひしは、上に, 在來れる後深草院の法花堂に藏奉給ひし趣にて、殊更に法花堂を造立給ひしさまにも, いへるか如し、, 今日上皇御幸東山泉涌寺云々、次佛殿以下所々歴覽、於二代御廟, 高野山・泉涌寺・安樂光院と見えて、六箇所にも分藏, もおはしませるによりて、御幸なともありつる趣、薩戒記應永卅二年九月十日の條に、, 引出たる崩御記・保光卿記等に見えたる如く、御拾骨の時中納言忠光卿の頸に懸奉給, 華堂・天龍寺, 御燒香, 天王〓, 融院、各有御影、, 後光嚴院・後圓, 難波, 浦、, 院, 金剛, 南朝文中三年北朝應安七年正月二十九日, 一八〇

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  • 融院、各有御影、
  • 後光嚴院・後圓
  • 難波
  • 浦、
  • 金剛

  • 南朝文中三年北朝應安七年正月二十九日

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  • 一八〇

注記 (25)

  • 1391,704,59,2177給ひし事を考合せて、深草に別に法華堂を建給はさりし趣を知へし、さて然六箇所に
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