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骨、骨堂も、, 北の四門中、何れかを通過して、直に天に舞ひ上ると考へたり、, 朝奉納御骨於深草法華堂と見えて、先兩御代, たる女神を描出せり、世人は屍の燒却されたる時、靈は自由に東西南或は, 御堂にて、同院の西傍なる地の字にも、骨堂前なとよひならへり、安樂行院, 〓の燒かるべき家の頂には、樂器或は宛も彼に冠するが如く花環を携へ, 法華堂も荒果たりけむを、今度その御舊跡を再興し給ひて、御骨堂を建給, 草法華堂は、すなはち此御骨堂のことにて、近頃まて安樂行院に在來れる, ひて、御骨を藏奉給ひしとそ、さるら延寶八年八月八日崩御記に、申尅般舟, 後陽成院天皇の御骨所も、御代々の如く深草法華堂におはしますめり、こ, 古圖を〓ふるに、此御骨堂のめくりに木の柵あり、南面らそれにつゝきて, 御納骨の時し、深草, 院陽空長老來駕、口状書一通持參、前例多候間、此度云々、深草安樂行院治御, も掛り候体如何ニ候といふ事みえて、上に引る皇年代略記にいはゆる深, 後陽成院崩御之時分出來、其以後、破損にて雨露, 〔山陵考〕]四深草法華堂, れ皇年代略記に、元和三年八月廿六日、崩於洞宮、九月廿日, 奉葬泉涌寺、翌〓, 〓れ深草法華堂, の御遺跡なり, 後柏原帝, 後奈良帝, 壬, 午, 深草法華, 堂, 元和三年九月二十日, 七四
割注
- 〓れ深草法華堂
- の御遺跡なり
- 後柏原帝
- 後奈良帝
- 壬
- 午
頭注
- 深草法華
- 堂
柱
- 元和三年九月二十日
ノンブル
- 七四
注記 (28)
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