『大日本史料』 12編 28 元和三年九月~同年十二月 p.74

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

骨、骨堂も、, 北の四門中、何れかを通過して、直に天に舞ひ上ると考へたり、, 朝奉納御骨於深草法華堂と見えて、先兩御代, たる女神を描出せり、世人は屍の燒却されたる時、靈は自由に東西南或は, 御堂にて、同院の西傍なる地の字にも、骨堂前なとよひならへり、安樂行院, 〓の燒かるべき家の頂には、樂器或は宛も彼に冠するが如く花環を携へ, 法華堂も荒果たりけむを、今度その御舊跡を再興し給ひて、御骨堂を建給, 草法華堂は、すなはち此御骨堂のことにて、近頃まて安樂行院に在來れる, ひて、御骨を藏奉給ひしとそ、さるら延寶八年八月八日崩御記に、申尅般舟, 後陽成院天皇の御骨所も、御代々の如く深草法華堂におはしますめり、こ, 古圖を〓ふるに、此御骨堂のめくりに木の柵あり、南面らそれにつゝきて, 御納骨の時し、深草, 院陽空長老來駕、口状書一通持參、前例多候間、此度云々、深草安樂行院治御, も掛り候体如何ニ候といふ事みえて、上に引る皇年代略記にいはゆる深, 後陽成院崩御之時分出來、其以後、破損にて雨露, 〔山陵考〕]四深草法華堂, れ皇年代略記に、元和三年八月廿六日、崩於洞宮、九月廿日, 奉葬泉涌寺、翌〓, 〓れ深草法華堂, の御遺跡なり, 後柏原帝, 後奈良帝, 壬, 午, 深草法華, 堂, 元和三年九月二十日, 七四

割注

  • 〓れ深草法華堂
  • の御遺跡なり
  • 後柏原帝
  • 後奈良帝

頭注

  • 深草法華

  • 元和三年九月二十日

ノンブル

  • 七四

注記 (28)

  • 675,660,58,286骨、骨堂も、
  • 1605,663,59,1849北の四門中、何れかを通過して、直に天に舞ひ上ると考へたり、
  • 1142,657,59,1341朝奉納御骨於深草法華堂と見えて、先兩御代
  • 1723,662,61,2191たる女神を描出せり、世人は屍の燒却されたる時、靈は自由に東西南或は
  • 329,661,60,2197御堂にて、同院の西傍なる地の字にも、骨堂前なとよひならへり、安樂行院
  • 1838,658,61,2184〓の燒かるべき家の頂には、樂器或は宛も彼に冠するが如く花環を携へ
  • 1023,656,64,2201法華堂も荒果たりけむを、今度その御舊跡を再興し給ひて、御骨堂を建給
  • 447,657,62,2194草法華堂は、すなはち此御骨堂のことにて、近頃まて安樂行院に在來れる
  • 909,662,61,2194ひて、御骨を藏奉給ひしとそ、さるら延寶八年八月八日崩御記に、申尅般舟
  • 1374,657,61,2201後陽成院天皇の御骨所も、御代々の如く深草法華堂におはしますめり、こ
  • 214,661,62,2205古圖を〓ふるに、此御骨堂のめくりに木の柵あり、南面らそれにつゝきて
  • 1147,2304,56,553御納骨の時し、深草
  • 793,657,62,2199院陽空長老來駕、口状書一通持參、前例多候間、此度云々、深草安樂行院治御
  • 561,662,61,2192も掛り候体如何ニ候といふ事みえて、上に引る皇年代略記にいはゆる深
  • 680,1445,58,1413後陽成院崩御之時分出來、其以後、破損にて雨露
  • 1462,618,111,813〔山陵考〕]四深草法華堂
  • 1258,658,60,1705れ皇年代略記に、元和三年八月廿六日、崩於洞宮、九月廿日
  • 1262,2441,56,417奉葬泉涌寺、翌〓
  • 708,967,43,456〓れ深草法華堂
  • 663,957,42,401の御遺跡なり
  • 1176,2025,42,263後柏原帝
  • 1131,2023,43,256後奈良帝
  • 1294,2379,40,43
  • 1248,2382,40,40
  • 1492,307,45,167深草法華
  • 1452,306,39,35
  • 1953,736,46,382元和三年九月二十日
  • 1955,2491,47,80七四

類似アイテム