『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.225

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ふも、おほつかなきことにて、武敏實は假名を八郎といひつらんとおもふ, 助武敏と見へ、梅松論にも寂阿か子武敏と見へたれは、却而系圖の武敏か, 大原合戰に討死せし後、八郎武豐を養子として、孫次郎武生と改名し、後に, あれき、此なるへく見へたれとも、赤星系圖に、赤星武貫延文四年八月筑後, 官途を闕、しるさゝるは疎漏なるに似たり、又武敏か九郎と名のりしとい, の説おほつかなし、これのみならず、系圖に武貫を掃部助としたるも誤り, ことあり、小代文書建武四年五月十五日、小代八郎次郎か代官宗兵衞尉經, 資か申状、今月八日菊池八郎以下凶徒等、筑後國豐福原打出之間云々とあ, 系圖に據て改めて九郎武敏とし、當時彼家にて掃部助なりしは、一族の赤, る菊池八郎は、系圖に据る時は、武敏か兄武豐を八郎と稱し、後續赤星家と, 武生と改めしことはさもあるへし、八郎を孫次郎と改めしといふは、系圖, 受領して、筑前守といひたるよし見へたり、されとも、其比まては、實名を改, めし例は多かれとも、假名を改めたる事をさ〳〵見及はされは、武豐後に, 星武貫にて、武敏にはあらすといひたれとも、前に引たる詫磨文書に、掃部, また太平記に武敏を掃部助とあるを、菊池, 〔征西將軍宮譜〕1亨齋, ○井, 澤, 菊池八郎, ハ武敏ナ, リトノ説, 南朝延元二年北朝建武四年五月三日, 二二五

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  • 南朝延元二年北朝建武四年五月三日

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  • 二二五

注記 (23)

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