『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.226

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二日、賀年城ヲ攻ム、, にて、阿曾文書正平十六年八月甲佐社の牒状に、守護代因幡守武貫と見へ, たれは、掃部助としたるも、大原合戰に討死したるとあるも、系圖の妄説な, ることしるかり、依之尚考ふるに、系圖に武敏を九郎としたるは、武敏は寂, 十一日, そ武敏なるへく、また武豐は初より孫次郎と名のりしなるへし、其上其比, 武重に代て軍の大將して、所々に向ひしは、いつも武敏はかりにて、自餘の, 郎と名のりたるに、武敏と武光か間に武士あれは、九郎は武士にて、八郎こ, 阿か第九の子に當る故、後より押當にしかいひたるにて、武光は始豐田十, 欲早依合戰軍忠、預御一見状、備後日龜鏡間事、, 原に打出たる八郎は、一定武敏なるへく覺ゆる也、, 兄弟の大將して向ひしことは、聞えされは、かた〳〵建武四年に重て豐福, 右五月四日、於賀年城, 石見國長野庄惣政所虫追四郎左衞門尉政國申, ハ石見ノ南黨三隅高津諸氏、長門阿武郡ニ入リ、所在ヲ略シ二十, 致警固、可抽軍忠由、預御教書間、率一族, 〔盆田家什書〕, ○長門阿武郡, ニ嘉年村アリ, 亥, 八十, 辛, 二, 四日賀年, 蟲追政國, 城警固ノ, 命ヲ受ク, 南朝延元二年北朝建武四年五月十一日, 二二六

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  • ○長門阿武郡
  • ニ嘉年村アリ
  • 八十

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  • 四日賀年
  • 蟲追政國
  • 城警固ノ
  • 命ヲ受ク

  • 南朝延元二年北朝建武四年五月十一日

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  • 二二六

注記 (29)

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