『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.782

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

二十七日, 香下古城、同村, に籠城しけるなり、, 東小部、西小部、藍那、小河等なり、兵庫より往還三條あり、再度山越、天王越、鵯, 十仭、其北岸に傍て、水槽を空に架し流を通ず、槽の長さ六十餘丈、風景甚奇, 也、下流は衡原村を歴て播州に入、當寺むかしは大厦にして、諸堂嚴重たり、, 崎坊これを守る、, 中に十三村あり、所謂上谷上、下谷上、原野、福地、中村、坂本、東下村、西下村、衡原, 赤松播州に在陣のとき、松山、貴志、大原、藤野、青木、有馬等の七氏の武士こゝ, の祈願所とす、, 香下寺、香下村の管内羽束山の下にあり、又鹿舌に作る、三田城鬼門擁護, 丹生山明要寺、同莊にあり、此山高嶺絶壁にして、坂路嶮し、谷の深き事數, 越など也、, 天文年中に荒廢す、古義眞言宗、京師三寶院の末派、智勝院、舟井坊、大光院、尾, に舊跡あり、傳云、建武年中, 菊池武重、肥後聖護寺ニ寺領ヲ寄附ス、, 〔攝津名所圖會〕, 〔廣福寺文書〕〓, ○香, 下村, 戌, 有馬郡, 壬, 十, 肥後, 丹生山明, 要寺, 香下城址, 南朝延元三年北朝暦應元年三月二十七日, 七八二

割注

  • ○香
  • 下村
  • 有馬郡
  • 肥後

頭注

  • 丹生山明
  • 要寺
  • 香下城址

  • 南朝延元三年北朝暦應元年三月二十七日

ノンブル

  • 七八二

注記 (30)

  • 313,570,72,293二十七日
  • 911,1426,62,499香下古城、同村
  • 673,652,59,567に籠城しけるなり、
  • 1721,637,74,2210東小部、西小部、藍那、小河等なり、兵庫より往還三條あり、再度山越、天王越、鵯
  • 1372,641,74,2212十仭、其北岸に傍て、水槽を空に架し流を通ず、槽の長さ六十餘丈、風景甚奇
  • 1256,645,75,2221也、下流は衡原村を歴て播州に入、當寺むかしは大厦にして、諸堂嚴重たり、
  • 1021,643,61,500崎坊これを守る、
  • 1837,636,78,2216中に十三村あり、所謂上谷上、下谷上、原野、福地、中村、坂本、東下村、西下村、衡原
  • 790,645,71,2191赤松播州に在陣のとき、松山、貴志、大原、藤野、青木、有馬等の七氏の武士こゝ
  • 439,653,57,421の祈願所とす、
  • 554,643,76,2220香下寺、香下村の管内羽束山の下にあり、又鹿舌に作る、三田城鬼門擁護
  • 1489,640,75,2213丹生山明要寺、同莊にあり、此山高嶺絶壁にして、坂路嶮し、谷の深き事數
  • 1604,638,55,279越など也、
  • 1139,641,75,2217天文年中に荒廢す、古義眞言宗、京師三寶院の末派、智勝院、舟井坊、大光院、尾
  • 917,2080,66,785に舊跡あり、傳云、建武年中
  • 312,932,83,1233菊池武重、肥後聖護寺ニ寺領ヲ寄附ス、
  • 883,601,105,501〔攝津名所圖會〕
  • 177,608,108,510〔廣福寺文書〕〓
  • 945,1947,43,108○香
  • 900,1945,40,112下村
  • 303,883,47,47
  • 894,1153,41,183有馬郡
  • 350,880,38,48
  • 942,1151,38,40
  • 189,1118,43,150肥後
  • 1511,275,42,169丹生山明
  • 1468,276,41,86要寺
  • 905,282,43,169香下城址
  • 1953,705,48,814南朝延元三年北朝暦應元年三月二十七日
  • 1970,2430,46,120七八二

類似アイテム