『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.267

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り、事就ずして自殺し給ひしと見ゆといへり、今案に、是説臆度とるへからす、史を考ふ, 以自縊焉と、國香の案に、皇子軍を遁れ、密に東國に赴せ給ひ、再ひ社稷を傾ん事をはか, 山權現の祠あり、相傳ふ大友皇子を祭ると、またこの邊にはら川といふあり、これ皇子, 地平郡・安房・長狹の三郡を歴覽し、それより清澄山にのほり、小湊浦をなかめ、再ひ, 便ならされは漏しぬといふ、神社佛閣・名所古蹟・國中里數・土人の傳説、見聞に隨て, 上總部、夷濤郡荻原村行元寺より書しはしめ、天羽郡金谷におはる、望陀郡俵田村に白, 原・望陀・周集・天羽の數郡を經、直に南に折て房總の界なる鋸山をあとにし、安房の, 記したる故、部類序次をもわかつことなし、, なといふ嶮難を下り、布施村の麓館山といふ處にいたり郷に還りぬ、朝夷一郡は順路に, 中村國香撰、國香上總夷〓郡人、自序を按るに、この書寶暦辛巳夷〓を發し、埴生・市, 刺腹せさせ給ふ所といふ、日本紀に、大友皇子及敗軍於瀬田、僅身免以逃之、乃隱山前、, 夷濤の地、臺宿といふ所をすき、上野・勾屋・山田・海鰕山・痘瘡社を越て大樟・羽賀, 房總志料五卷, 第一卷, 寫本, 三册, 中里數土人ノ, 閣名所舊蹟國, 房總ノ神社佛, 傳説等ヲ見聞, 現ノ説, 俵田村白山權, 朝夷郡ヲ除ク, ニ隨テ記ス, 寶暦十一年, 中村國香撰, 別紀第四(東海道), 二六七

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  • 寫本
  • 三册

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  • 中里數土人ノ
  • 閣名所舊蹟國
  • 房總ノ神社佛
  • 傳説等ヲ見聞
  • 現ノ説
  • 俵田村白山權
  • 朝夷郡ヲ除ク
  • ニ隨テ記ス
  • 寶暦十一年
  • 中村國香撰

  • 別紀第四(東海道)

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  • 二六七

注記 (28)

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