『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.269

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今は安房郡に并すと云、また義經記に、安房國住人まちの太郎・あんないの太夫源氏に, つくと、國香案に、まちは前に記所の長狹郡小町のことゝ見ゆ、あんないは安西をあや, り、これらなるにやといふ、清澄寺の下、天富尊を崇し、靈場なりと、彼寺の縁起と見, 所居便名安房郡、天富尊則於其地立太玉尊社、今安房社是也、この言のことくなるとき, は天富尊を祭れるにてはなく、天富尊安房郡の地に太玉尊を祭れるなり、又古安房の地, といひしとみゆ、又延喜式にも安房郡安房坐神とあり、古書にもとつきての事なりと云、, なし、下總國印幡郡の東に畔蒜村あり、これすなはち古の畔蒜郡の殘れるなり、古制に, いまた一國に建さる已前は上總に隷せるなれは、上世は普く安房一州の地を指て安房郡, とて、その方位を圖にあらはす、安房郡府中、順和名抄に安房國府平郡に在と、然とも, 上總附録、古語拾遺、上總を上麻と書たる説より山邊郡田中村におはる、畔ズ郡今知人, ゆ、古語拾遺を考ふに、天富尊至阿波國殖麻穀、又分阿波齋部往東土殖麻穀、阿波忌部, 三里以下小郡となすとあるをみれは、後世いつとなくたゝ失に消しとみゆ、又武射郡に, あり、この説誤れり、延喜式見へしといふ、又洲崎より豆州・相州の地快晴の曰に見ゆ, まれるにや、かくあれは安西三郎景盆か事なるへし、或いふ、朝夷郡に安陪といふ村あ, 第三卷, の太郎あんな, いの太夫, 房國住人まち, 安房郡府中安, 清澄寺, 畔蒜郡, 別紀第四(東海道), 二六九

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  • の太郎あんな
  • いの太夫
  • 房國住人まち
  • 安房郡府中安
  • 清澄寺
  • 畔蒜郡

  • 別紀第四(東海道)

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  • 二六九

注記 (23)

  • 1666,714,65,2249今は安房郡に并すと云、また義經記に、安房國住人まちの太郎・あんないの太夫源氏に
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