『大日本史料』 8編 2 応仁2年8月~文明元年9月 p.333

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國佐嘉高傳寺より、今の本尊を寄附をり、佛師大宮佐なり、, 璃光寺と改む、, きむるよし傳ふれど、不動も摩利支天も、ともに勇猛の明王天部にしあ, 庵在住の時なるへけれは、時節相違あるに似たる歟、」, 佛かり、扉の左右に不動、摩利支天の二像を畫きをり、是き後に雪舟の畫, 二の明年なり、たとひ雪舟の畫といはんも、文明元年歸朝の後、山口雲谷, て妙榮寺と名つく、今の長門國豐田泰雲院是なり、當寺末寺三百有餘の上, れは、弘房軍陣に臨みて、常に隨身ありし時よりの畫なるへし、けれは佛, 本尊藥師如來、日光佛、月光佛、及ひ十二神將ともに、一籠中に安んをり、唐, 弘房二男兵庫頭弘詮、持の母妙榮大姉の壹めに、當國都濃郡富田庄に一宇, 建立、保安寺と號す、また長門國豐田にも一宇を建つ、だの母の法諱により, 籠特に少さく、當寺の大殿に應しかたきによりて、元祿中當寺末寺肥前, 開祖は石屋門派の智識大庵和尚なり、明應元壬子といふに、安養寺の境致, 狹隘なるか〓めに、迦藍を隣山に移し、弘房隨身の藥師をもて本尊とし、瑠, 陶越前守弘房は、應仁戊子十一月卒す、雪舟歸朝きと、文明元年にして、應仁, (頭書), 保氏ノ爲, 寺及ビ妙, メニ保安, 弘詮母仁, 榮寺ヲ建, 應仁二年十一月二十四日, 三三三

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  • 保氏ノ爲
  • 寺及ビ妙
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  • 弘詮母仁
  • 榮寺ヲ建

  • 應仁二年十一月二十四日

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  • 三三三

注記 (23)

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