『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.270

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布施村、上總介廣常か事蹟數條を載、又二總の界・海邊の順路詳にこの卷に載たり、, 上總附録、奇濤郡太田臺より日本紀に載る白蛤の考をしるすにおはる、奇〓郡脊南の地, 多し、長一尺五六寸許の厚き板に年月本里姓氏等を刻し、朱漆最あさやかにして見つへ, 事十一場、其所在およひ市曰を載たり、, より堀出せる高六寸許の銅像、何の像といふ事をしらすと、其圖をあらはす、又上總寺, 北は奇濤郡大田木地方をいふ、脊西其地分明ならす、脊南奇北に對するときは、脊西は, 院千八百四十一寺、御朱印地百十六寺、其宗旨をわかち寺數を載たり、又本州市街を置, 印幡郡へ并隷せると見えたりといふ、又東鏡に追討上總夷西常景男脊北常仲とあり、奇, 新田小川なといふ地名を存せり、是和名抄に載處、畔ド郡の縣名なれは武射郡と下總の, 罹りしといふは非なり、今堂上に掛ところの順禮の札に、嘉吉・文安・大永の頃のもの, 筒森邊の地をいふとみえたりといふ、又奇濤郡清水寺觀音堂は、割據の代、丙丁の災に, 第四卷, きものなり、後世柿木厚紙なとに易る簡便なることにてはなき也といふ、又同郡山田村, 第五卷, 女房附録、安房の名義また和名抄に養老二年割上總國四郡、置安房郡といふこと見ゆ、, 布施村, 音堂, 夷〓郡清水觀, 山田村ノ發掘, 寺院市街市日, 安房上總ノ分, 夷北夷南夷西, 合ノ説, 品, 編脩地誌備用典籍解題卷之七, 二七〇

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  • 布施村
  • 音堂
  • 夷〓郡清水觀
  • 山田村ノ發掘
  • 寺院市街市日
  • 安房上總ノ分
  • 夷北夷南夷西
  • 合ノ説

  • 編脩地誌備用典籍解題卷之七

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  • 二七〇

注記 (26)

  • 406,710,63,2162布施村、上總介廣常か事蹟數條を載、又二總の界・海邊の順路詳にこの卷に載たり、
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