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にもみえ侍るといへり、十一日木付・日出を經、鐵輪村熱泉のことを載、豐後風土記を, 小川をへたて、たかひに大なるつぶでを以てうつ、疵を被るもの多し、寛文の末に故あ, に至る、大貞の社・如水原・宇佐八幡宮にまうす、九曰なほ宇佐に在て大宮司宮城氏に, 貝原篤信撰、篤信元祿七年四月朔日をもつて福岡荒津のやとりを出て、豐前・豐後兩國, より神寶を見たりしことをしるす、是日神廟を拜せしこと、宮司に聞けるあらましの故, 都郡の下、其名義を載、筑城郡を經、仲津郡に入、彦山・東竹臺・國分寺等をしるす、, 教書なと、その外文書數通ありとしるす、この日香春に至り、香春町香春神社を記、京, 六日又筑城郡に入、天徳寺の下、城井氏の事をしるす、城井氏は宇都宮信房の後といふ、, りてやみぬ、五月五曰の石戰はむかし都にあり、また朝鮮にもありし事にて、東國通鑑, 柴崎の小兒四月下旬より小キ石をもてうちあふ、五月五日には里の長幼多く出て中なる, 求菩提山・椎田綱敷天神の事をも記せり、七曰上毛郡、下毛郡、羅漢寺を見て中津の町, 實なと書載たり、其日豐後速見郡高田にいたる、高田の隣村國崎郡柴崎といふ、高田, 豆國紀行一卷, を巡覽す、五日直方前を出て豐前田河郡に入、上野村興國寺後醍醐帝綸旨、將軍家御, 寫本, 一毋, 貝原篤信撰, 五月五日高田, 後兩國ヲ巡, 元祿七年豐団, 村柴崎村ノ石, 覽ノ紀行, 戰, 遊紀第二, 二〇七
割注
- 寫本
- 一毋
頭注
- 貝原篤信撰
- 五月五日高田
- 後兩國ヲ巡
- 元祿七年豐団
- 村柴崎村ノ石
- 覽ノ紀行
- 戰
柱
- 遊紀第二
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- 二〇七
注記 (25)
- 297,701,62,2246にもみえ侍るといへり、十一日木付・日出を經、鐵輪村熱泉のことを載、豐後風土記を
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