『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.16

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に彌次郎といふ人なし、豐國を布施屋形の子といふは誤りなり、又彌次郎といふは, とり尾と申所の城主武田又三郎と申人兩人して討申候よし、此時布施くつれ申候と, 高公當國御立退きなされ、そのまゝ御領地なさるゝやあきらかならす、又曰く、禪, も、又は彌次郎殿は屋形の御子息にて、其後屋形は、禪高公を御養子になされ御病, 高公當國に御座なさるゝ時に、當國八東郡邊御取りなさるゝやうには申候へとも、, 死なされ候、墓所高草郡たちみと申所に御座候、武田豐前并に其弟當國高草郡ひよ, 始て因州布施庄に居住ありしより子孫此所を領す、是を布施の屋形といふ、其子孫, したるものなし、按するに、布施屋形といふは左京太夫時氏の男中務少輔氏冬、, しかと存したるものこれなく候、按するに、豐國の村岡に居住の事は、鳥取落城の, 彈正大弼豐定の兄なり、彌次郎安豐といふ、詳に系圖に見へたり、或記に曰く、禪, 慥に向方御取り向れの所に御在城なされ候と、たしかに存したるもの御座なく候、, 當國矢部の城に御座なさるゝと申ものも御座候へと、當國にて矢部の城今ほと在所, 死なととも申、又は毛利家より布施を攻くつし申なととも申候て、一圓分明成儀存, 後に暫く此所に居住ありしなり、或記に曰く、武田豐前と申人の儀も、當國土民説, 天正元年八月一日, 豐國鳥取城, ヲ逃レ但馬, 村岡ニ住ス, 布施くつれ, 六

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  • 豐國鳥取城
  • ヲ逃レ但馬
  • 村岡ニ住ス
  • 布施くつれ

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