『大日本史料』 6編 7 康永元年正月~康永2年12月 p.199

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入給へり, の向ふ所實に誣へからす、, とも、遂に恢復の功を竣すして、山野に沒玉ひしは、實に氣運の衰といふ, 廟に祈る時は忽奇驗ありと云、卿在世には兄弟身を盡して國家に報れ, 文政己丑仲夏日佐伯惟忠謹誌, 國分山城墟國府城是なり、興國年中、脇屋刑部卿、四國の大將にて當城に, 唐子山と名く、四方石垣今猶存して古瓦夥し、, 按、土俗相傳、脇屋卿嬉にかゝりて沒玉ゐぬと、さる故に今世瘧を疾者、此, 脇屋卿贊, 擧兵廟算、仗義速驅、桓桓雄武、可起懦夫, へし、されと卿沒て五百年の久しきを經れとも猶かゝる奇瑞あり、人心, 之於同志、相與刻石、以奉建于墓側云、, となして、國分寺に藏たり、近世儒士佐伯惟忠側に碑を立、, 戰功籍甚、名與兄倶、病終南海、時乎命乎、, 山上に松樹を植並て、遠境より望は鼻童に似たり、因て俗に, 此贊者、盆軒貝原氏八十餘而所作也、余偶讀自娯集得之、感懷不能已焉、因謀, 文政己丑仲夏日, ○中, 略、, 國府山城, 〓, 南朝興國三年北朝康永元年五月是月, 一九九

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  • ○中
  • 略、

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  • 國府山城

  • 南朝興國三年北朝康永元年五月是月

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  • 一九九

注記 (23)

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