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て人質とす、自遁はすして存保を勝瑞の城へおくる、, く、元親も陣を引く、篠原自遁も木津の城を開て淡州に退く、元親東條關之兵衞を, 東條防き戰ふといへとも、小勢なれは力盡て土州へ退き去る、, 〔阿波志〕, して木津の城を守らしむ、同十三年、秀吉公、四國元親が亂を治んと兩大將四國に, に有て相防んとす、存保謀を以て、自遁か妹聟大代掃部介・同弟三四郎二人を搦捕, る、時に風雨洪水ありて寄手大に苦む、爰に於て兩軍和睦成て、存保は讚州に引退, きに依て、阿州を治ん爲め、堺より淡州に渡り、阿州土佐泊に著く、自遁木津の城, す、其子孫皆藤を以て姓とす、太平記に阿波國藤橘伴の者といふは此藤氏の事なりとな, り、此末に脇權頭・脇備中守と云者爰に住せしとなり、, 天正九年秋、存保元親中富川に戰ふ、存保敗北して勝瑞の城に引退く、元親進て責, 到る、羽柴秀長卿の軍船阿州土佐泊に著く、先つ東條關之兵衞が木津の城を攻む、, 脇ノ城傳ニ云、むかし讚岐の國司に藤原家成卿とあり、其子數多ありて阿讚の間に住, 其後足利將軍義晴公の時、三好筑前守長基當城を築く、其時長基は攝州中島の城に有, 天正十三年七月十九日, ○徴古雜抄續編阿波二所收, 下美馬郡, ○阿波國城跡, 記異事ナシ、, ○中, 略, 三好氏脇城, ヲ築ク, 脇城, 三三六
割注
- ○徴古雜抄續編阿波二所收
- 下美馬郡
- ○阿波國城跡
- 記異事ナシ、
- ○中
- 略
頭注
- 三好氏脇城
- ヲ築ク
- 脇城
ノンブル
- 三三六
注記 (25)
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