『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.579

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しと、一同に申ける、元親默然として御座けるか、良有て、旁か申所一理なき, 其外の城々浦々里々迄降參し、國中殘す平均す、頓て勝瑞の城を破却して、, なく、年貢運送の煩なく、貴賤上下安堵せり、或時阿波の商人、土佐甲浦に來, し給ひ候はゝ、虎を養て患ひを殘すものにて候へし、此度速に討取給ふへ, にあらすといへ共、倩事を案るに、此人小勢と云共、輙討るゝ敵にあらす、况, は、此人も必降參有へし、只所望に任よと使を返、黒田の原へ一里計陣をく, 自遁は、木津の城を明て、淡州へ立退、夷山、一宮、坂西の城し、皆明て落行ける、, や討死と思ひ極るをや、たとへ討取共多の士を失〓し、凡阿州、讚州手に入, 木津の城は東條關兵衞、渭山の城は吉田孫左衞門康俊、一宮の城は江村孫, て遊ひけるか、過し軍物語を仕出し、阿波の者云ぎるは、土佐勢勝瑞へ押寄, つるけ給へは、九月廿一日の夜、隼人正存保は東讚岐へ落られけれは、篠原, の城は田中市之介政吉を籠置る、富岡の城は香宗我部安藝守親泰預番子, をして守りしかは、阿波土佐の兩國は、唯一家の思ひをなし、商賣往來の弊, 左衞門親俊、蠻山の城は北村間齋、脇の城は長宗我部右兵衞親武、海部戸茂, 親家臣を召て、此支いかゝ有へしと宣へは、何だ是程に手に入たる敵を洩, ノ提議ヲ, 臣等存保, 退ケンコ, トヲ乞フ, 元親ノ家, 天正十年九月二十一日, 五七九

頭注

  • ノ提議ヲ
  • 臣等存保
  • 退ケンコ
  • トヲ乞フ
  • 元親ノ家

  • 天正十年九月二十一日

ノンブル

  • 五七九

注記 (22)

  • 1686,632,82,2221しと、一同に申ける、元親默然として御座けるか、良有て、旁か申所一理なき
  • 985,615,83,2252其外の城々浦々里々迄降參し、國中殘す平均す、頓て勝瑞の城を破却して、
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