『大日本史料』 7編 30 応永25年1月~同年7月 p.98

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て軍議怠り、女色に亂れ酒宴に長し、傍若無人の振舞のみ多かりける、親世ひそかに人, 後へ引歸し、日數經て失せぬるなと沙汰しけれは、武朝己か武勇に慢し、驕逸の心出來, 池肥後守武政ハ應永六年十月四日に卒し、其子武朝相續しけるか、武勇父祖に劣らす、, 大友式部大夫親世は、自國の敵事故なく打隨へて、隣國の交りに禮義を盡され候けれは、, 大友の中興とも仰きける、其後親世入道して高祖と號す、, と取り置、肥後國中無事に沙汰して歸りける、是よりして親世ハ九州を段々に攻從へ一, 島津・龍造寺・大村・松浦・小貳等も歸服して菊池征伐の謀をそ廻らしける、去程に菊, 豐筑の間に打て出、合戰度々に及ひける處に、大夫親世ハ重病を受たりと披露させ、豐, を遣して伺はせ、武朝か油斷此時なりと聞て、急き勢を集、肥後國へ打入、菊池に押寄, 落され八代城へ逃籠り、終に和を乞、永く幕下に屬すべき由を約しける、親世ハ人質な, 近邊を放火し、城中にも忍の人を入、所々に火をかけ攻入けれは、武朝一時の謀に城を, 時の平均ヲなしけれは、頓て上洛をそしたりける、將軍北山殿感賞淺からす、九州の探, 題職先規のことく給りける、されは家門の繁昌先祖へ越へ、閥閲の功業子孫に蒙りて、, 實子幼稚なるに依て弟親著十一代の代をそ繼にける、, 瑞光寺是なり、, の黒子在故なり、, 左の股に七十二, 應永二十五年二月十五日, 九八

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  • の黒子在故なり、
  • 左の股に七十二

  • 應永二十五年二月十五日

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  • 九八

注記 (19)

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