『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.92

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にと信玄の近習臼驚き走寄リ、血を吸ひ、藥を付、介抱す、此騷動に、野田の城兵悉く遁れ, 預り、降參せよ、厚く用ひんと云に、兩人欺笑て、二人も三人も主人を替る事は、甲州に, 立る、從卒是を見て、方便れぬる無念さよ、未城中を出離れさる軍兵共、信玄の旗本を目, 去ル、依之二月十日、野田落城す、扠松平與市・菅沼新八郎兩人を、外郭に囚置て、山縣, 士有、適是こそ大將にやと思ひけれは、六匁の鐵炮を以ねらひ濟し、とうと打、火烟と共, 當にして、弓・鐵炮を雨雹の如く打かけ、其中に松平與市忠政か足輕、三州岡崎の住人輕, 依之城を半出たる軍勢、上を下へと恩動す、信玄下知して、一人も殘すなと、短兵急に揉, 部太郎兵衞と云者、坂下を見おろしけるに、黄綿帽子を被り、馬上にて士卒を下知する勇, に遠鳴して、彼大將の左の〓ゟ小耳の脇へ打拔く、痛手故、馬ゟ眞逆樣に落る、こわいか, てははやるへし、三河者は不調法にて、曾て不存と、散々惡口す、故に兩人を、先長篠へ, 之山峨三方の人質、先年徳川家へ出し置たると取替にすへしとて、此事を公の方へ申送る、, 道に兵を伏せる、與市・新八是を不知、うか〳〵と出る、伏兵起て、忽ち兩將を擒にす、, 遣し置、其後四臣評定し、信玄へ斯と申に、信玄は痛手故、四臣に宜計ふへしと有ル、依, 公は野田の御後詰として、笠頭山迄御出馬有けるか、早野田落城して、菅沼・松平與市擒, 取歟, 耳ノ脇ヲ貫, 傷ヲ介抱ス, 近習信玄ノ, 左〓ヨリ小, ル間ニ野田, クトノ説, 鐵炮信玄ノ, 城ノ兵遁ル, 天正元年二月十七日, 九二

頭注

  • 耳ノ脇ヲ貫
  • 傷ヲ介抱ス
  • 近習信玄ノ
  • 左〓ヨリ小
  • ル間ニ野田
  • クトノ説
  • 鐵炮信玄ノ
  • 城ノ兵遁ル

  • 天正元年二月十七日

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  • 九二

注記 (25)

  • 955,696,60,2176にと信玄の近習臼驚き走寄リ、血を吸ひ、藥を付、介抱す、此騷動に、野田の城兵悉く遁れ
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