『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.654

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眼清範とて、道心者のきこえ侍り、佛心宗を心にかけ、心地を極め成佛を望, らるゝと云々、善入と云し人申せし、彼乘專と云へるは、本は丹波の國に法, 越前國今立郡清水頭出雲山毫攝寺は、覺如上人上足の弟子丹波六人部乘, として毫攝寺と題額の號を申名け、同筆生の字を書下されけり已上、顯誓, 後には都に毫攝寺を移されけるにや, の記に云、京都出雲路毫攝寺はもと覺如上人の御時、乘專法印御息を申受, しか、覺如上人に値ひ奉り、上足の弟子となり、眞宗弘興の法徒也、丹波の六, 熟し、善縁相應せるにや、彼清範法眼同心して頓教の一乘物にこそ伴ひ奉, らめ、季諾あまり、乃至此法眼草創し侍る丹州の佛閣をも、本願寺寄附の儀, 人部に毫攝寺と云ふ寺を始め給ひ、則彼御影像をすえ奉り、覺如御滅後に, は、其御行状を記し、最須敬重繪とて七卷の傳記を此寺に安置し玉ふと也, 專御房の御遺跡也、慕歸繪詞云、尊儀覺如、の座下に常隨給仕の往日、宿因純, 〔大谷遺蹟録〕一高田山法雲寺記東派, 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九目, 余、此間に鳥羽萬法寺に高祖眞筆の名號あり, 小松より大溝へ二里、海津へ七里、越前山中へ三里, 半、敦賀へ四里、今庄へ六里、脇本へ三里、右へ清水頭、, 文和二, 年云々、, 鯖江より大味浦へ五里、さばえより淺水へ二里, 余、此間に鳥羽萬法寺に高祖眞筆の名號あり, 寺乘專, 越前毫〓, 六五四

割注

  • 小松より大溝へ二里、海津へ七里、越前山中へ三里
  • 半、敦賀へ四里、今庄へ六里、脇本へ三里、右へ清水頭、
  • 文和二
  • 年云々、
  • 鯖江より大味浦へ五里、さばえより淺水へ二里
  • 余、此間に鳥羽萬法寺に高祖眞筆の名號あり

頭注

  • 寺乘專
  • 越前毫〓

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  • 六五四

注記 (24)

  • 888,661,65,2221眼清範とて、道心者のきこえ侍り、佛心宗を心にかけ、心地を極め成佛を望
  • 1008,668,65,2215らるゝと云々、善入と云し人申せし、彼乘專と云へるは、本は丹波の國に法
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