『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.844

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

のゝしるまゝ、一座のともから尤と同して、すてにをしよせんとさゝめき, れる女房を、やみ〳〵とゝられ侍りては、武名乞食にもおとりて覺え侍る、, 命を主君の前程にうしない、名を武口にとゝめん事を思へり、うちつゝき, しり、地知り、汝知り、我しれりといふ本文あれは、何しかは四知をはつるへ, き、自然としてかの女房の夫とも聞つけ、何となくよりあつまりて議定し, 人生の大倫なり、その間にしなありて、あるひはすこしきの扶助に身をか, へ、あるひは大なる祿に命をうり、繁々のしなありといへとも、その一命を, たてまつる所の義は一なり、是によりていさゝかの騷乱にもいちはやく、, りとて、かゝるふるまひ狂人にもおとれり、そのうへ、現當二世かけてちき, 人々はいかにはからひ給ふ、われ〳〵におゐては不日にをしよせ、腹きら, 軍戰かまひそしく、人々むねをひやし侍る折からなるに、主從のへたてあ, ける、その中よりある武勇者すゝみ出て申けるは、人々の奮激ことはり至, けるは、そも〳〵主君として臣を撫て、下として上に忠節をつくす事、古來, しあるといひてよひよせけるとそ、唯此事をもらすへきにもあらねと、天, せんと存る、すみやかに羣義决したまふへしと、かたはらよりいきまきて, 南朝正平六年北朝觀應二年二月二十六日, 南朝正平六年北朝觀應二年二月二十六日, 八四四

  • 南朝正平六年北朝觀應二年二月二十六日

ノンブル

  • 八四四

注記 (18)

  • 301,669,65,2215のゝしるまゝ、一座のともから尤と同して、すてにをしよせんとさゝめき
  • 649,665,70,2223れる女房を、やみ〳〵とゝられ侍りては、武名乞食にもおとりて覺え侍る、
  • 1001,659,64,2216命を主君の前程にうしない、名を武口にとゝめん事を思へり、うちつゝき
  • 1698,653,68,2200しり、地知り、汝知り、我しれりといふ本文あれは、何しかは四知をはつるへ
  • 1583,653,68,2214き、自然としてかの女房の夫とも聞つけ、何となくよりあつまりて議定し
  • 1349,654,67,2205人生の大倫なり、その間にしなありて、あるひはすこしきの扶助に身をか
  • 1233,665,68,2205へ、あるひは大なる祿に命をうり、繁々のしなありといへとも、その一命を
  • 1118,663,67,2221たてまつる所の義は一なり、是によりていさゝかの騷乱にもいちはやく、
  • 768,660,65,2216りとて、かゝるふるまひ狂人にもおとれり、そのうへ、現當二世かけてちき
  • 533,663,67,2216人々はいかにはからひ給ふ、われ〳〵におゐては不日にをしよせ、腹きら
  • 880,658,69,2216軍戰かまひそしく、人々むねをひやし侍る折からなるに、主從のへたてあ
  • 183,666,71,2217ける、その中よりある武勇者すゝみ出て申けるは、人々の奮激ことはり至
  • 1470,656,65,2212けるは、そも〳〵主君として臣を撫て、下として上に忠節をつくす事、古來
  • 1819,656,63,2209しあるといひてよひよせけるとそ、唯此事をもらすへきにもあらねと、天
  • 416,678,63,2204せんと存る、すみやかに羣義决したまふへしと、かたはらよりいきまきて
  • 1929,712,50,815南朝正平六年北朝觀應二年二月二十六日
  • 1929,712,50,815南朝正平六年北朝觀應二年二月二十六日
  • 1945,2456,40,120八四四

類似アイテム