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一石濱の事を答申上候段、御返報承知候、久米, 才覺仕候、もし出候はゝ、可懸御目候、それに付て、太平記の武藏野合戰の不, 野合戰の章に、籠手差原より石濱まで、坂東道四十六里を、片時か間に追付, 濱は只今淺草觀音堂の北、金龍山石濱城の遺址の方計殘たるにて御座候, 變御目前に御座候由、仰の通野拙なと若年の時見申候まても、岡の如くに, へ、地理を以御考被成候得は、大方遠からぬ事、考の通に可然おほしめし、石, は、手前にも有之候得とも、それにては參りかね候ゆへ、しはらく申殘し候、, なく候得とも、小手差原なと慥にて名も不殘候、但地は變なきものに候ゆ, 貴公御覺被成候まても、淺草砂利取場、はしめは岡の樣に有之候所、陵谷の, 審、少々出來候事も候、兎角〓敷繪圖出來候はねはと奉存候、あらましの圖, 川并小手差原の事、尚又承候筋にて承候に、老拙よく〳〵存し候人の知行, 御座候き、其後谷に罷成候、それより前は、餘程の岡山にて御座候と云々、, 所にて、久米川は村の名、小手差原と申は、六七里四方にて、南武藏野北武藏, 武藏國に石濱といへる地名二箇所あり、太平記武藏, 〔新安手簡, 野にて、委細の咄しうけ給り候、猶又よろしき繪圖可有之かたを承り出し, 〔武藏野話多麻郡, 〔武藏野話〕多麻郡武藏國に石濱といへる地名二箇所あり、太平記武藏, 上白石先生, 與〓泊先生書, (とて候なとィ), 同新井君, 美ノ答, 石濱ハ牛, 濱トノ説, 正平七年閏二月二十日, 二六三
割注
- 上白石先生
- 與〓泊先生書
- (とて候なとィ)
頭注
- 同新井君
- 美ノ答
- 石濱ハ牛
- 濱トノ説
柱
- 正平七年閏二月二十日
ノンブル
- 二六三
注記 (27)
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