『大日本史料』 6編 16 正平7年正月~文和元年8月 p.262

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

候はん事、穩に可有之候歟、北か南かにこだ候へ、武藏野合戰と申はしか, りす候、尊氏父子鎌倉をのかれて石濱に奔られ候と申もたかふへから, 手差原の名高く候ゆへに、小手差原と記し候ゆへ、地の懸隔出來り、後の, 右暦に記し候所、その文實にして、今の地理に據り候て併考候に、暦のか, 宗覺譽等の書をそのまゝに載せられ候ほとの實録に候得は、是に從ひ, 一小手差原石濱の事御尋申上候、御秘談にて, す候、記者狩野河を久米川に作り、武藏野といふへきを、義貞の戰より小, りの所もこれあるへく候、然るを後の記者地理を諳をすして、石濱と, 事御聞及ひ候事とも、鎌倉志に似より候ものに可被成と被思召候、久米川, た理に近く相見へ候、もし又いつれか實記に候半と論し候は〻、暦は義, いふ名によりて、その所は則此河濱と心得あやまり候て記し候歟、, いかにも申進候通にて御座候、只今は彼邊或は田或は人居に罷成、跡形も, 疑をいたし候にはあるましく候歟、高明には如何おほしめされ候やと, 候へども被仰下候、其上此間、江戸遺聞と申物被思召立候、豐嶋荏原兩郡の, 〔新安手簡, 奉伺度候, 正平七年閏二月二十日, 與白石先生書, 下〓泊先生, 石濱ニ就, テ安積覺, ノ問, 正平七年閏二月二十日, 二六二

割注

  • 與白石先生書
  • 下〓泊先生

頭注

  • 石濱ニ就
  • テ安積覺
  • ノ問

  • 正平七年閏二月二十日

ノンブル

  • 二六二

注記 (24)

  • 1199,694,67,2142候はん事、穩に可有之候歟、北か南かにこだ候へ、武藏野合戰と申はしか
  • 1085,702,63,2147りす候、尊氏父子鎌倉をのかれて石濱に奔られ候と申もたかふへから
  • 849,698,68,2146手差原の名高く候ゆへに、小手差原と記し候ゆへ、地の懸隔出來り、後の
  • 1551,697,67,2137右暦に記し候所、その文實にして、今の地理に據り候て併考候に、暦のか
  • 1319,697,65,2146宗覺譽等の書をそのまゝに載せられ候ほとの實録に候得は、是に從ひ
  • 501,1520,62,1336一小手差原石濱の事御尋申上候、御秘談にて
  • 966,703,67,2145す候、記者狩野河を久米川に作り、武藏野といふへきを、義貞の戰より小
  • 1789,767,66,2068りの所もこれあるへく候、然るを後の記者地理を諳をすして、石濱と
  • 259,631,72,2230事御聞及ひ候事とも、鎌倉志に似より候ものに可被成と被思召候、久米川
  • 1436,703,67,2144た理に近く相見へ候、もし又いつれか實記に候半と論し候は〻、暦は義
  • 1671,780,69,2009いふ名によりて、その所は則此河濱と心得あやまり候て記し候歟、
  • 146,651,70,2205いかにも申進候通にて御座候、只今は彼邊或は田或は人居に罷成、跡形も
  • 731,695,68,2156疑をいたし候にはあるましく候歟、高明には如何おほしめされ候やと
  • 378,630,69,2221候へども被仰下候、其上此間、江戸遺聞と申物被思召立候、豐嶋荏原兩郡の
  • 472,592,100,336〔新安手簡
  • 614,701,56,281奉伺度候
  • 1901,700,47,425正平七年閏二月二十日
  • 482,999,42,402與白石先生書
  • 526,1000,43,399下〓泊先生
  • 536,268,44,169石濱ニ就
  • 494,271,41,167テ安積覺
  • 450,273,40,78ノ問
  • 1901,700,47,425正平七年閏二月二十日
  • 1913,2436,45,114二六二

類似アイテム