『大日本史料』 6編 16 正平7年正月~文和元年8月 p.261

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進と見へ候, の六郷渡の上流の間を渡らすしては、道は外に御座なく候、此水はい, かにも淵瀬もしられぬ所に可有之候、所によりむかふの岸の屏立る, 外に、野にて候處東西三四里の所も候、南北は八王子のかたへ懸り六, の戰ひに尊氏敗せられ、石濱へ走られ候はゝ、必多磨川の下流即ち今, 多磨川を渡り靄眞野を經候て相州にいたり候、此野は只今も新墾の, 七里の曠野にて、當代は御鷹をつ手に被遣候御鷹場に罷成り候、此所, 所も可有之候、横さ〓に戰場より水に至り候所、坂東道四十六里はか, 經て罷越候、某、相州高座郡の知行所へ人を往來仕候にも、世田谷より, 即今の加奈川、今も故壘の地も候歟、久米川に陣せられ候にはあらに, 此記に據り候に、尊氏鎌倉を去て武州狩野河を保守られ候、狩野河は, 只無も八王子邊ゟ炭薪等を神奈川宿へ商賣候ものともは、鶴間のを, 候、義宗注進状に、今日十九日發向狩野河候とみへて、小手差原より注, 候、いはゆる南武藏野のことにて、只今鶴間原又龜鶴なと申所の邊候、, らは廿日の合戰は、小手差原と加奈川との間へ尊氏出合れしとみへ, 然, 正平七年閏二月二十日, 新葉集に、宗良親王歌の詞書に、武藏の國へ打こへて、小, 手差原といふ所におり居て、手分なとしとあるにより、, 合戰地ハ, 鶴間原ト, 石濱ハ六, 郷渡ノ附, 近ナルベ, ノ説, シトノ説, 正平七年閏二月二十日, 二六一

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  • 新葉集に、宗良親王歌の詞書に、武藏の國へ打こへて、小
  • 手差原といふ所におり居て、手分なとしとあるにより、

頭注

  • 合戰地ハ
  • 鶴間原ト
  • 石濱ハ六
  • 郷渡ノ附
  • 近ナルベ
  • ノ説
  • シトノ説

  • 正平七年閏二月二十日

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  • 二六一

注記 (28)

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