『大日本史料』 6編 16 正平7年正月~文和元年8月 p.260

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とも、むかし申候半には、下練馬と白子との間の流を指候歟, 義宗等上州にて義兵を揚, つたき事候に歟、もし此道筋に淵瀬もはかられ候はぬと申ほとの水, へき事を謀らると云々, かたき大略先如此に候、その餘は論するにおよはす候, んて、義宗注進の状を前帝へ献せられ候、又五日の記には、よし宗は宗良, 代藥師寺并上杉一類を撃破り、十八日に鎌倉に攻入候處に、尊氏すてに, 邊まては戰場より六七里に及ひもすへく候、然らは坂東道四十六里, 鎌倉を去て武州狩野河の城に楯籠る、十九日に狩野河へ打向時にのそ, 園太暦正平七年三月朔日より五日まての文をみるに、閏二月十五日に、, みちもなを遠く、そのうへ中間にみつは見へ渡らす候歟、記文の心得, 親王を警固し奉り、義興義治以下諸將は武州に立歸るを、敵陣を撃平候, 隔り候事に候、もし又唯今北野へ往來し候道筋田無、關、中野を經候て, と申候も近かるへく候、雖然石濱にては、此水よりしてはなを大小道, 十六日には國中の將軍方を對治し、同日に武州へ打越へ、武州の前守護, 此, 正平七年閏二月二十日, 此武州へ立つヘるは、狩野, 圖にみ, 河の事訖りて後の事歟, 略、, ○中, ヘたり、, 正平七年閏二月二十日, 二六〇

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  • 此武州へ立つヘるは、狩野
  • 圖にみ
  • 河の事訖りて後の事歟
  • 略、
  • ○中
  • ヘたり、

  • 正平七年閏二月二十日

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  • 二六〇

注記 (25)

  • 1700,770,59,1781とも、むかし申候半には、下練馬と白子との間の流を指候歟
  • 883,687,56,778義宗等上州にて義兵を揚
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