『大日本史料』 6編 17 文和元年9月~文和2年3月 p.685

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太宰府を侵寇せし時籠りし城址也といふ、本編に漏たり, 氏下向於筑之姪濱, ぬことなれとも、古浦は筑後の高良なるを、となへのおなしかる故、古浦と, 少貳か籠りし古浦城はいつくなるか、今はさる, に圍れて難儀したるを、武光後措して一色を追退け、少貳を救ひたること, 地名も聞えさるうへに、太平記は東國西國のことは、すへて傳聞のまゝを, 書きたるにて、地名なとも聞まかへたる事多かれは、いよ〳〵さたかなら, 々に平地有、何れも今は圃と成れり、此處は天慶年中藤原純友四國を落て, 處北方五畝許、東の方最高き所長サ二十五間許、その東面又南の尾にも段, 見えたるも、直冬朝臣のいまた筑前に居られし間の事ならんとおもへは、, 間にある小山なり、西方高き所三畝許、其次一段低き處一段餘、又其次高き, 浦古城太宰府神〓の西原山との, 〔筑前國續風土記拾遺〕, 二月二日、探題直氏與菊池武光、於筑前國針磨相合戰、直氏敗退肥前綾部城, 〔征西將軍宮譜〕八太平記、大原合戰の段に、少貳か古浦城にて一色入道, 菊池鎭筑前國、, 或曰少貳頼尚屬宮方、, ○中略、全文ハ去年十一月, 相拒直氏針磨合戰, 十二日ノ條二收メタリ、, 御笠郡, 古城古戰場, 古浦城ニ, 浦城, 就テノ考, 南朝正平八年北朝文和二年二月二日, 六八五

割注

  • 或曰少貳頼尚屬宮方、
  • ○中略、全文ハ去年十一月
  • 相拒直氏針磨合戰
  • 十二日ノ條二收メタリ、
  • 御笠郡
  • 古城古戰場

頭注

  • 古浦城ニ
  • 浦城
  • 就テノ考

  • 南朝正平八年北朝文和二年二月二日

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  • 六八五

注記 (27)

  • 1111,657,57,1730太宰府を侵寇せし時籠りし城址也といふ、本編に漏たり
  • 1932,659,56,568氏下向於筑之姪濱
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