Loading…
要素
割注ノンブル
OCR テキスト
事明らけし、, 僧坊もなくなりたり、歌に、此きの山とよみしも、城の山也、紀伊國背の山を, り、馬往來自由なり、むかしは肥前筑後より此城の山道をこえて、太宰府の, あやまりならし、萩原より城の山の東をこえて、肥前國基肆郡にゆく道あ, 千坊と云て、僧坊多かりし事を稱す、今は一坊もなし、按するに、三代實録に、, 事にや、いふかし、大城山と城山とは別也、城山、いつの時よりか寺院もたえ、, とは、城山と四王院と兩所にての事にや、若は大城の山の四王院といへる, 讀せしめたまひし事あり、此時より〓に僧坊有けるならし、但城山四王院, 方に行し由いへり、今の原田道より近し、肥前筑後の人は、所により今も此, る寺院ありて、子院甚多かりしといふ、僧坊の址、山中所々に多し、俗に城山, 道を通る、近けれはなり、肥前の方のふもとに、城山口とて小なる町あり、筑, このせの山とよめるかことし、城山の外に、別にこのきの山ありとするは, 貞觀八年二月十四日、太宰府司に命し、城山四王院におゐて、大般若經を轉, 後守葛井の連の歌を見れは、太宰府より筑後へゆくに、この山道をこえし, 平等寺村山口村より一里餘あり、本は山口村の内にて上山口と云、然と, ○下略、本書古跡古戰場ノ, 部ニモ載セタレドモ略ス, 文明十年十月十日, 七八二
割注
- ○下略、本書古跡古戰場ノ
- 部ニモ載セタレドモ略ス
柱
- 文明十年十月十日
ノンブル
- 七八二
注記 (19)
- 304,626,61,361事明らけし、
- 1115,634,68,2210僧坊もなくなりたり、歌に、此きの山とよみしも、城の山也、紀伊國背の山を
- 760,631,69,2205り、馬往來自由なり、むかしは肥前筑後より此城の山道をこえて、太宰府の
- 880,635,66,2209あやまりならし、萩原より城の山の東をこえて、肥前國基肆郡にゆく道あ
- 1705,639,67,2226千坊と云て、僧坊多かりし事を稱す、今は一坊もなし、按するに、三代實録に、
- 1236,631,66,2230事にや、いふかし、大城山と城山とは別也、城山、いつの時よりか寺院もたえ、
- 1354,642,65,2204とは、城山と四王院と兩所にての事にや、若は大城の山の四王院といへる
- 1473,637,66,2211讀せしめたまひし事あり、此時より〓に僧坊有けるならし、但城山四王院
- 643,629,69,2214方に行し由いへり、今の原田道より近し、肥前筑後の人は、所により今も此
- 1824,645,65,2208る寺院ありて、子院甚多かりしといふ、僧坊の址、山中所々に多し、俗に城山
- 527,628,68,2214道を通る、近けれはなり、肥前の方のふもとに、城山口とて小なる町あり、筑
- 999,642,62,2203このせの山とよめるかことし、城山の外に、別にこのきの山ありとするは
- 1588,635,67,2211貞觀八年二月十四日、太宰府司に命し、城山四王院におゐて、大般若經を轉
- 409,628,69,2213後守葛井の連の歌を見れは、太宰府より筑後へゆくに、この山道をこえし
- 174,631,71,2203平等寺村山口村より一里餘あり、本は山口村の内にて上山口と云、然と
- 326,996,47,760○下略、本書古跡古戰場ノ
- 284,995,43,772部ニモ載セタレドモ略ス
- 1947,723,47,346文明十年十月十日
- 1940,2448,47,122七八二







