『大日本史料』 8編 10 文明9年是歳~同10年12月 p.782

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事明らけし、, 僧坊もなくなりたり、歌に、此きの山とよみしも、城の山也、紀伊國背の山を, り、馬往來自由なり、むかしは肥前筑後より此城の山道をこえて、太宰府の, あやまりならし、萩原より城の山の東をこえて、肥前國基肆郡にゆく道あ, 千坊と云て、僧坊多かりし事を稱す、今は一坊もなし、按するに、三代實録に、, 事にや、いふかし、大城山と城山とは別也、城山、いつの時よりか寺院もたえ、, とは、城山と四王院と兩所にての事にや、若は大城の山の四王院といへる, 讀せしめたまひし事あり、此時より〓に僧坊有けるならし、但城山四王院, 方に行し由いへり、今の原田道より近し、肥前筑後の人は、所により今も此, る寺院ありて、子院甚多かりしといふ、僧坊の址、山中所々に多し、俗に城山, 道を通る、近けれはなり、肥前の方のふもとに、城山口とて小なる町あり、筑, このせの山とよめるかことし、城山の外に、別にこのきの山ありとするは, 貞觀八年二月十四日、太宰府司に命し、城山四王院におゐて、大般若經を轉, 後守葛井の連の歌を見れは、太宰府より筑後へゆくに、この山道をこえし, 平等寺村山口村より一里餘あり、本は山口村の内にて上山口と云、然と, ○下略、本書古跡古戰場ノ, 部ニモ載セタレドモ略ス, 文明十年十月十日, 七八二

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  • ○下略、本書古跡古戰場ノ
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