Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
に成合むと引くを追掛るに、向かたに馳倒して、其敵を延す, 利加比と訓へし、名義詳ならす、, はすみはらに向て引く、肥後勢は、別府のつかはらに、鳥飼の汐干潟を、大勢, 則國の府邑にて繁榮せしと云、, 早良郡に鳥飼村有て、福岡城の西端, 鳥飼竹崎五郎畫詞に、武房に凶徒赤坂陣を駈落されて、二手に成て、大勢, となれり, 鳥飼は等, ず堅も〓足あ運題姪と西山堤場り, に}は浦家小寂川の生かりりと波雲, 舘め或松利り山澁濱云をああ山斯興, 〔山田聖榮自記〕, はをど卷は森光探又濱の戸土道後あ, も垤題本3田あ所疊西り間丸題あ, 火山落草の林照堯東の見中石云左寺, 今濱に九に中りあ今濱ウ又の隈城り, 力城た軍澁小此村殘き云西古とりに, はの從州やに昔りにをと其濱山な上, 時バ探寫なのと墓石のになのを探山, 英れりて墓東士に}見を垣と3川に, 松原につゞけり、此三の濱共に、蒙古を防きし石疊今に殘れり、又、姪濱の市, ○下, ○中, 略ス, ○原注, をかけ自害してければ、一族郎從, ○舊典類, 同く腹をそきりにけるとあり、, 聚所收, 略, 又、其西なるを中熊山と云、丸隈山と中隈山との間の濱、古より土, 略, 原大〓住せり、士には毘沙門堂あり、其西なるを丸隈山と云、又、道場山と, 又云、浦山西に山あり、上に城跡あり、興雲寺, 〓の墓所と云、石塔には、鎭西將軍日顯大居士とあり、昔此處に〓運山寂昭, 切云〓あり、〓の境内に葬りしと云り、又、東の田中に小なる森あり、小林, 〓せ、或は〓人になり、以の外無勢になりければ、姪濱の城戸口を堅めし〓, 〓は地中に埋もれたり、是蒙古を防ぎし石垣なり、又、其西に小戸山あり、, と云、此處にも墓あり、是澁川探題の家臣の墓なるにや、澁川氏は、足利家况, 山と云、是澁川探題城なりと云、後ハ斯波左, 鹿筑前守、宗像大宮司、降人に成て出しかば、英時も今は力に及はず、館に〓, 隈山にならびて海邊なり、中熊小戸との間をおば乃と云、小戸の西を妙, 野の者ども心替して、都て英時を攻たりけり、探題に從たる兵ど, 〓又日の北にある小山を探題山と云、此處に墓所あり、村民は、探題澁川〓, 劑權斯波義將が、一類なりと云と云れし、さて寫本九州軍記一卷に、松浦、草, ばけけさの又居處きか間石山な澁西, 〓之云、則妙見社あり、此地平なる岩なり、妙見の西濱をきすの濱と云、生の, 英れりて墓東士に}見を垣と3川に, かりり臣り大此防りの}隈西是巨, 及口兵一氏3にはりの戸小り又云跡, 〓なたれ家云顯云をなとぎ中其云ぢ, 松原につゞけり、此三の濱共に、蒙古を防きし石疊今に殘れり、又、姪濱の東, 力城た軍澁小此村殘き云西古とりに, に戸3記川な處民れす小によ云と城, はの從州やに昔りにをと其濱山な上, も垤題本3田あ所疊西村り間丸題あ, 時バ探寫なのと墓石のになのを探山, 今濱に九に中りあ今濱ろ又の隈城り, 鳥飼, 元弘三年五月二十五日, 二九
割注
- ○下
- ○中
- 略ス
- ○原注
- をかけ自害してければ、一族郎從
- ○舊典類
- 同く腹をそきりにけるとあり、
- 聚所收
- 略
- 又、其西なるを中熊山と云、丸隈山と中隈山との間の濱、古より土
- 原大〓住せり、士には毘沙門堂あり、其西なるを丸隈山と云、又、道場山と
- 又云、浦山西に山あり、上に城跡あり、興雲寺
- 〓の墓所と云、石塔には、鎭西將軍日顯大居士とあり、昔此處に〓運山寂昭
- 切云〓あり、〓の境内に葬りしと云り、又、東の田中に小なる森あり、小林
- 〓せ、或は〓人になり、以の外無勢になりければ、姪濱の城戸口を堅めし〓
- 〓は地中に埋もれたり、是蒙古を防ぎし石垣なり、又、其西に小戸山あり、
- と云、此處にも墓あり、是澁川探題の家臣の墓なるにや、澁川氏は、足利家况
- 山と云、是澁川探題城なりと云、後ハ斯波左
- 鹿筑前守、宗像大宮司、降人に成て出しかば、英時も今は力に及はず、館に〓
- 隈山にならびて海邊なり、中熊小戸との間をおば乃と云、小戸の西を妙
- 野の者ども心替して、都て英時を攻たりけり、探題に從たる兵ど
- 〓又日の北にある小山を探題山と云、此處に墓所あり、村民は、探題澁川〓
- 劑權斯波義將が、一類なりと云と云れし、さて寫本九州軍記一卷に、松浦、草
- ばけけさの又居處きか間石山な澁西
- 〓之云、則妙見社あり、此地平なる岩なり、妙見の西濱をきすの濱と云、生の
- 英れりて墓東士に}見を垣と3川に
- かりり臣り大此防りの}隈西是巨
- 及口兵一氏3にはりの戸小り又云跡
- 〓なたれ家云顯云をなとぎ中其云ぢ
- 松原につゞけり、此三の濱共に、蒙古を防きし石疊今に殘れり、又、姪濱の東
- 力城た軍澁小此村殘き云西古とりに
- に戸3記川な處民れす小によ云と城
- はの從州やに昔りにをと其濱山な上
- も垤題本3田あ所疊西村り間丸題あ
- 時バ探寫なのと墓石のになのを探山
- 今濱に九に中りあ今濱ろ又の隈城り
頭注
- 鳥飼
柱
- 元弘三年五月二十五日
ノンブル
- 二九
注記 (61)
- 607,733,61,1630に成合むと引くを追掛るに、向かたに馳倒して、其敵を延す
- 506,729,55,852利加比と訓へし、名義詳ならす、
- 711,738,63,2033はすみはらに向て引く、肥後勢は、別府のつかはらに、鳥飼の汐干潟を、大勢
- 1801,729,53,859則國の府邑にて繁榮せしと云、
- 496,1783,56,985早良郡に鳥飼村有て、福岡城の西端
- 820,730,65,2040鳥飼竹崎五郎畫詞に、武房に凶徒赤坂陣を駈落されて、二手に成て、大勢
- 406,734,45,250となれり
- 604,2515,50,251鳥飼は等
- 1026,2522,825,40ず堅も〓足あ運題姪と西山堤場り
- 1029,2654,827,44に}は浦家小寂川の生かりりと波雲
- 1028,2589,821,43舘め或松利り山澁濱云をああ山斯興
- 270,692,92,444〔山田聖榮自記〕
- 1030,2455,821,43はをど卷は森光探又濱の戸土道後あ
- 1033,2059,824,41も垤題本3田あ所疊西り間丸題あ
- 1026,2721,832,43火山落草の林照堯東の見中石云左寺
- 1027,2124,832,43今濱に九に中りあ今濱ウ又の隈城り
- 1025,2257,829,41力城た軍澁小此村殘き云西古とりに
- 1028,2191,833,42はの從州やに昔りにをと其濱山な上
- 1026,1993,832,41時バ探寫なのと墓石のになのを探山
- 1028,1926,823,41英れりて墓東士に}見を垣と3川に
- 1452,745,53,2008松原につゞけり、此三の濱共に、蒙古を防きし石疊今に殘れり、又、姪濱の市
- 426,997,38,104○下
- 633,2387,36,105○中
- 492,1594,32,98略ス
- 528,1593,38,168○原注
- 963,733,43,897をかけ自害してければ、一族郎從
- 317,1192,38,236○舊典類
- 927,727,38,852同く腹をそきりにけるとあり、
- 274,1188,40,172聚所收
- 592,2388,38,39略
- 1668,740,55,1773又、其西なるを中熊山と云、丸隈山と中隈山との間の濱、古より土
- 387,998,36,36略
- 1709,741,54,1955原大〓住せり、士には毘沙門堂あり、其西なるを丸隈山と云、又、道場山と
- 1815,1597,47,1181又云、浦山西に山あり、上に城跡あり、興雲寺
- 1345,744,54,2012〓の墓所と云、石塔には、鎭西將軍日顯大居士とあり、昔此處に〓運山寂昭
- 1279,747,53,2019切云〓あり、〓の境内に葬りしと云り、又、東の田中に小なる森あり、小林
- 1065,737,50,2014〓せ、或は〓人になり、以の外無勢になりければ、姪濱の城戸口を堅めし〓
- 1603,748,52,1986〓は地中に埋もれたり、是蒙古を防ぎし石垣なり、又、其西に小戸山あり、
- 1237,743,54,2016と云、此處にも墓あり、是澁川探題の家臣の墓なるにや、澁川氏は、足利家况
- 1772,1607,50,1155山と云、是澁川探題城なりと云、後ハ斯波左
- 1022,736,52,2010鹿筑前守、宗像大宮司、降人に成て出しかば、英時も今は力に及はず、館に〓
- 1558,736,53,2020隈山にならびて海邊なり、中熊小戸との間をおば乃と云、小戸の西を妙
- 1131,742,49,1775野の者ども心替して、都て英時を攻たりけり、探題に從たる兵ど
- 1385,750,52,2008〓又日の北にある小山を探題山と云、此處に墓所あり、村民は、探題澁川〓
- 1171,742,51,2037劑權斯波義將が、一類なりと云と云れし、さて寫本九州軍記一卷に、松浦、草
- 1027,1860,832,42ばけけさの又居處きか間石山な澁西
- 1496,751,51,1998〓之云、則妙見社あり、此地平なる岩なり、妙見の西濱をきすの濱と云、生の
- 1028,1927,823,41英れりて墓東士に}見を垣と3川に
- 1027,1791,827,45かりり臣り大此防りの}隈西是巨
- 1026,2390,838,41及口兵一氏3にはりの戸小り又云跡
- ... +11 more







