『大日本史料』 6編 16 正平7年正月~文和元年8月 p.264

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

いへり、, 濱を指て落られけるとあるも此地なり、いつの比よりか、石濱を牛濱と訛, 合戰の章に、南遠江守は今日の合戰に打洩され、左馬頭を具足し奉りて、石, たりとあるは、多麻郡に牛濱といへる地あり、是なるべし、籠手差原は入間, 寺に千葉塚あり、彼太平記の石濱といへるは、多麻郡府中の石濱也、土人, ば、是多麻川の濱にして、川の向ひは二宮といへる地にして、斷岸高く實に, 石濱を渡りて、河の向の岸高ふして屏風を立たるかごとくなるにとあれ, 云、甚誤れり、此地は千葉次郎惟胤、福島左衞門次郎など居地せり、今總泉, 屏風を立たるがことくなれば、今いふ牛濱なること分明なり、又同書鎌倉, 長禄江戸圖考云、子祥氏新安手簡を引て、太平記の石濱を、今は橋塲也と, 郡北野村誓詞が橋の邊より、堀兼入間川迄なれば、里數よく當れり、同章に, りしや、牛濱は原なりしが、建〓の後福生村熊川村の農民、此地を開發しで, ハ今は牛濱と訛り唱ふれども、古老は石濱の由傳へたり、白石は太平記, 玉川〓源日記〕ニ太平記云石濱の説, 住する事となりぬ、ゆへに北の側を福生村の牛濱、南の側を熊川の牛濱と, }, 見聞, 路邊, ○下, 略, 府中ノ石, 今牛濱ト, テノ考, 石濱ニ就, 濱ナリト, 牛濱ハ石, 稱ス, 濱, ノ説, 正平七年閏二月二十日, 二六四

割注

  • 見聞
  • 路邊
  • ○下

頭注

  • 府中ノ石
  • 今牛濱ト
  • テノ考
  • 石濱ニ就
  • 濱ナリト
  • 牛濱ハ石
  • 稱ス
  • ノ説

  • 正平七年閏二月二十日

ノンブル

  • 二六四

注記 (31)

  • 741,636,53,195いへり、
  • 1090,622,58,2224濱を指て落られけるとあるも此地なり、いつの比よりか、石濱を牛濱と訛
  • 1207,624,60,2226合戰の章に、南遠江守は今日の合戰に打洩され、左馬頭を具足し奉りて、石
  • 1794,629,59,2214たりとあるは、多麻郡に牛濱といへる地あり、是なるべし、籠手差原は入間
  • 269,698,59,2142寺に千葉塚あり、彼太平記の石濱といへるは、多麻郡府中の石濱也、土人
  • 1441,627,59,2216ば、是多麻川の濱にして、川の向ひは二宮といへる地にして、斷岸高く實に
  • 1561,626,57,2216石濱を渡りて、河の向の岸高ふして屏風を立たるかごとくなるにとあれ
  • 384,697,60,2147云、甚誤れり、此地は千葉次郎惟胤、福島左衞門次郎など居地せり、今總泉
  • 1323,620,61,2229屏風を立たるがことくなれば、今いふ牛濱なること分明なり、又同書鎌倉
  • 502,704,60,2141長禄江戸圖考云、子祥氏新安手簡を引て、太平記の石濱を、今は橋塲也と
  • 1675,621,61,2221郡北野村誓詞が橋の邊より、堀兼入間川迄なれば、里數よく當れり、同章に
  • 971,626,62,2216りしや、牛濱は原なりしが、建〓の後福生村熊川村の農民、此地を開發しで
  • 152,719,61,2123ハ今は牛濱と訛り唱ふれども、古老は石濱の由傳へたり、白石は太平記
  • 600,755,99,1225玉川〓源日記〕ニ太平記云石濱の説
  • 856,626,59,2218住する事となりぬ、ゆへに北の側を福生村の牛濱、南の側を熊川の牛濱と
  • 598,585,105,22}
  • 605,625,44,115見聞
  • 651,625,44,111路邊
  • 770,849,40,108○下
  • 726,845,41,48
  • 312,260,44,171府中ノ石
  • 1120,262,45,165今牛濱ト
  • 489,266,42,124テノ考
  • 531,263,45,169石濱ニ就
  • 270,262,39,165濱ナリト
  • 182,260,43,172牛濱ハ石
  • 1078,258,40,79稱ス
  • 137,259,42,44
  • 228,272,41,72ノ説
  • 1912,707,46,425正平七年閏二月二十日
  • 1910,2435,44,121二六四

類似アイテム