『大日本史料』 6編 16 正平7年正月~文和元年8月 p.266

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るに、人々つとへるに、さる石濱の説を問けるに、其席の人の説に、今は牛濱, 南の方にある石濱城の趣なり、こゝは北岸の上の村にて、昔城ありしと云, といふ地を、昔は石濱といひて、府中にあるよし述られし、子祥氏と云も、府, 石濱の條の事問けるに、さる事は云傳へにも聞し事侍らすといへり、こと, る人をしるへにぐして、志濱に至りけるに、玉川の北の添にて家聊あり、畠, 事もきかずと云、早苗、此後に此牛濱村の市左衞門の許に至りて、太平記の, 川の北の添に、熊川村と云あり、其内の小名の村に、牛濱と云所あり, に牛濱は北の岸の村なれは、太平記の文とたがへり、然は外へ石濱と云地, も添たり、川原に出で南の岸を見渡したるに、南岸は一の山より五の山迄、, 中の實地見ずして云し説と思はれたり、村老云、府中昔より牛濱と云地名, あり、是石濱の頭字をのみ、里言に志濱と云にやと云人あり、よつて予則さ, はなし、但し牛濱と云地は、玉川の西の方、府中より行程五里計りにして、玉, ありやと問けるに、其中或人、府中南半里計りに、玉川の北の添に、志濱と云, 峯つゝきて鋸齒の如し、川面は鑿もて削なせしに似たり、巖壁屏風を立し, 其牛濱の南岸は、岩壁屏風を立し如し、されども太平記の文にては、, 圖に著, 其圖も, 玉川總, しり, 圖, 濱ナリト, 志濱ハ石, 牛濱アリ, 熊川村ニ, ノ説, 正平七年閏二月二十日, 二六六

割注

  • 圖に著
  • 其圖も
  • 玉川總
  • しり

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  • 濱ナリト
  • 志濱ハ石
  • 牛濱アリ
  • 熊川村ニ
  • ノ説

  • 正平七年閏二月二十日

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  • 二六六

注記 (27)

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