『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.387

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て故の關白を追出す、是時遠州に來らせ給ひて龍禪寺に御座あり、, 記し、古の海道は今の驛路より北の方を通りたる事、十六夜日記なとにも見ゆると記せ, 人の傳に長上郡の内中郡と稱する地あり、これ古の長下郡なり、渥美・山香未詳よしを, 年京師の妖巫十七人を遠州に流すといふはもし此地ならむかといへり、豐田郡の下、天, 敷智郡濱松の所に、龍禪寺といふ寺に天正の時京都關白の御書付、是は秀吉關白を望中, り、次に濱名郷、次に敷智郡、長上郡、豐田郡、麁玉郡、周智郡、山名郡、佐野郡、城, 龍古天中河といふ、今同郡中泉の南に天龍村といふ處あり、いにしへは此川此所まて廣, といふ寺に平手政秀か石塔ありと云事を標注す、都田といふ所村老の説に、むかし京都, 郡となし、渥美・山香・長下三郡ありて濱名なく、城東を城飼、秦原を榛原に作る、十, 也といふ、濱名橋、國史およひ僧虎關詩・重元家集・僧増基遠江道の記・東鑑を引據す、, 東照宮を御頼ある由の御文にて、榊原小平太康政とのへと當名ありといふ事、又西來院, 門帝明應八年己未夏六月大雨大水、湖と海との間驛路沒して海となる、今切のわたし是, はれる地名をあつめ、その故實を考へ記す、はしめに十二郡の名をあけ、注に一に十四, 東郡、榛原郡、磐田郡を標し、白〓を冠らしめて見やすからしむ、濱名郷の下、後土御, の官女來りて此所に住居す、その後地名となりたりと、是書の按に、孝謙帝天平勝寶四, 龍禪寺, 集メ故實ヲ考, 傳レル地名ヲ, 濱名橋, 今切のわたし, 遠江國ノ古ク, へ記ス, 西來院, 天龍川, 別紀第五(遠江), 三八七

頭注

  • 龍禪寺
  • 集メ故實ヲ考
  • 傳レル地名ヲ
  • 濱名橋
  • 今切のわたし
  • 遠江國ノ古ク
  • へ記ス
  • 西來院
  • 天龍川

  • 別紀第五(遠江)

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  • 三八七

注記 (26)

  • 907,708,57,1684て故の關白を追出す、是時遠州に來らせ給ひて龍禪寺に御座あり、
  • 1591,699,56,2243記し、古の海道は今の驛路より北の方を通りたる事、十六夜日記なとにも見ゆると記せ
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