『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 5 p.257

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た過行方の戀しきにといふ歌の説、又三河國八はしのことをいふに、水ゆく川のくもて, を得たりといふへし、のちまた母の喪ありて、古郷に歸りし事を記し、是を後の岡部日, 遠江の所々をめくり、又江戸に歸るを一篇とす、是を岡部日記といふ、或は東歸ともい, 伊勢といふ事、あさけ川、伊勢物語にのする伊勢・尾張より信濃の淺間嶽を過る説、ま, へたれは、さよの中山といふは誤りなりといひ、又神名帳己等の麻知神社の説等、考證, なまれり、續日本記養老六年に、遠江國佐盆郡八郷を割て、はしめて山名郡をおくと見, 山手向の事、〓丸の社、比えの三上山、もる山、鈴鹿山いせをのあまといふ事、神風の, へり、佐夜中山の下に、中山はさや郡にあれはなり、今の俗は此郡をさのといふはよ人」, といふ説等、みな考據明らかにして、證するに足れり、また江戸より一とせ古郷に歸り、, 賀茂眞淵紀行一卷, ふ、或は西歸ともいへり、西歸は西より歸るの義にや、山科御廟野、天智天皇御陵、相坂, ふるき名所なとのよこなまりいふなるをたゝし、もて一篇となす、是を旅のなくさとい, はす所の書みな世に行はる、眞淵あるとし京師より故郷に歸る事あり、そのみちすから, 岡部眞淵撰、眞淵本姓加茂、稱衞士、遠州敷知郡岡部人、國學を荷田春滿に受て、あら, 「名東歸西歸, 寫本, 一册, 加茂眞淵撰, 岡部日記, 後の岡部日記, 旅のなぐさ, 遊紀第二, 二五七

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注記 (23)

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