『大日本史料』 6編 22 延文3年9月~延文5年正月 p.842

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の間、京都をさして北朝といふ、此時天下南北にわかれ、年號も亦別々にあ, りて、鐘終に成就せす、衆人勞倦て、その事止ぬ、それより後、人皇九十五代後, 醍醐天皇、和州吉野へ遷らせたまひしより三代の間、吉野を指て南朝とい, ひて、三種の神寳も、猶此御方にまします、人皇九十七代光明天皇より五代, り、しかるに南朝後村上天皇正平十四己亥年に至て、復彼鐘を鑄直に、此時, 安珍を害せし其恠異の事蹟は、元亨釋書に詳にして、諸人の知處なり、其の, 始て成就す、即北朝人皇九十九代後光嚴天皇延文四年に當て、今卯年まて, 今道成寺境内、其鐘樓の礎石尚存す、世の傳る所、謠曲に鐘供養の時、白拍, 外謠曲等にも傳て、兒女奴婢に至まても、大〓をしる故に略す, ふ、其後彼鐘〓となり、鑄直すこと十餘回に及ふといへとも、種々の障礙あ, 子來る事は、此鐘を鑄る時の事といふ、, 御即位より今卯年まで、一千六十四年になる、其後雄女蛇と成て鐘を蟠圍、, 抑紀州日高郡矢田莊道成寺は、人皇四十二代文武天皇の勅願所なり、此帝, 四百一年になる、今妙滿寺にある所の鐘是なり、銘に、別當檀那冶工年月等, 〔道成寺鐘今在妙滿寺和解略縁起〕, 世に傳, 南朝正平十四年北朝延文四年雜載, ○中, 略, 蹤, 記, 南朝正平十四年北朝延文四年雜載, 八四二

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  • ○中

  • 南朝正平十四年北朝延文四年雜載

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  • 八四二

注記 (23)

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