『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.253

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を營み加へて、其追善を修しける也、, のよし、天文三甲午年三月の當寺古勸進帳に見えたり、かくて後、平治の乱に、左馬頭, み殘り、大御堂に對して、其坊を大坊と呼ならへり、當寺は水野惣右衛門・同藤兵衛兩, 大御堂と樓門のみ殘りしを、天文三甲午年の三月、勸化して修造を加へしが、慶長五年, の秋、九鬼嘉隆當郡を侵しける時、又、坊舍燒亡し、その後大御堂頽廢して、遺跡の, 源義朝朝臣の此地に〓逆に遭れしを悲傷し、國司, 家、かはる〳〵住職する例なり、塔頭安養院・圓明院・龍松院・慈雲院・密藏院の五坊, 柿並村にありて、中島郡長野村万徳寺の末寺也、白河天皇の勅建にて、承暦年中の草創, 大御堂寺, 平康頼朝臣、一堂, あり、, 享祿四辛卯年十月十三日の兵火に燒失して、, 〔參考〕, 本堂、, 〔尾張志〕知多郡眞言宗, 柿並, 鎭守神明社、, 鐘樓、, 守か、權守か、介か、權, 介か、今は知り難し、, 勸進沙彌正因と彫たる古鐘を揚く, 阿彌陀及ひ觀音・勢, 建長二年十一月十九日、大工藤原光延、, 至の古像を安置す、, 中, ○中, 略, ○中, 略, 略, 元龜三年十月八日, 二五三

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  • 守か、權守か、介か、權
  • 介か、今は知り難し、
  • 勸進沙彌正因と彫たる古鐘を揚く
  • 阿彌陀及ひ觀音・勢
  • 建長二年十一月十九日、大工藤原光延、
  • 至の古像を安置す、
  • ○中

  • 元龜三年十月八日

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  • 二五三

注記 (32)

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