『大日本史料』 6編 23 延文5年2月~康安元年12月 p.323

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となり、夢窓は關山の知己と云べし、, 出行にも隨從多かりし、或日途にて、妙心の開祖關山國師の未だ卑くして, ありしに値しに、關山は落葉を拾ひ焚ものにせんとてありしを見て、あの, 僧こそ、後は我法孫も、皆彼の會下たるべけれと云しが、果して其言の如し, 却老僧之日、忘却應燈二祖深恩、不老僧兒孫、汝等請務其本、白雲感百丈之大, 唯そのまゝの躰未曾有の事ともなりと、ある人かたられ侍りし、, 其隨從之際、脇不到席者多年、頗有古尊宿風、卒受老祖淵粹命、長養者二十年, 宿昔吾大應老祖正元之間、超風波大難地、蚤入宋域、遇著虚堂老禪于淨慈眞, 正脈於吾朝者、老祖之功也、次先師大燈老人、參得老祖于西京、侍者京輦巨峰、, 師之功也、老僧爰受花園仙帝勅請、創開此山、先師嚼飯養嬰兒、後昆直饒有忘, 參實證、末後徑山盡其〓奧、是故得路頭再過之稱、受兒孫日多之記、單傳楊岐, 果彰大應遠大之高徳、起佛祖已墜之綱宗、殘眞風不地之遺誡、鞭策後昆者、先, いへり、かゝる止事なき高徳を、關山のもてなしつくろはすかさらすして、, 〔甲子夜話續編〕十六天龍寺に詣しとき聞く、夢窓國師は、身貴重せられ、, 關山玄禪師遺誡, 〔正法山誌〕〓山城關山玄禪師遺誡, 〔正法山誌〕〓山, 南朝正平十五年北朝延文五年十二月十二日, 玄ノ知己, 疎石ハ慧, 遺誡, 南朝正平十五年北朝延文五年十二月十二日, 三二三

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  • 玄ノ知己
  • 疎石ハ慧
  • 遺誡

  • 南朝正平十五年北朝延文五年十二月十二日

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  • 三二三

注記 (23)

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