『大日本史料』 5編 17 寛元元年12月~同2年7月 p.404

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りけれハ、其例を存知て望給へりけるに、帝都警衞の奉行六波羅ゟおさへ、吹擧せられ, とて、仁和寺の御室へ參詣し、落飾受戒し、にゐたの新發意阿義と名乘けり、斯る式をは、, と申ハ此人なり、抑圓福寺殿の父祖よし兼、よし房の藏人に補せられて、院の昇殿拜し侍, 寛元の比にや、又太郎政義、上野國役として、帝都を守護し侍る事あり、俄に素懷を遂ん, 墨に蟄居し給ふ、由良入道阿義禪門と申、其後此別聖に眞言修法の梵宇を建て圓福寺と, 豫關東え望申さす、左右なく自由の所行なりとて、去延應の評定判誡にまかせらるへか, 分の家領といふは此比なり、扨こそ世良田の居館ハ、領家檢斷所なれば退去し、由良郷別, 〔附録〕, 號ス、高野山中院の靜辨檢校の法嗣靜毫阿遮梨を招請して、現世後生の祈祷師とせり、, て代官として、よし季と遠江太郎時兼の老母とに、當莊領家職半分づゝ預給ひける、各半, 千手觀自在菩薩を安置し、不動五大尊をも安置す、田園若干を寄附せられ侍り、圓福寺殿, りけるを、他に異なる父祖之例を思ひ給ふによつて、宥恕のさたを經られ、一族近親を以, ざりけり、さらは一族門葉の例とて、廷尉を望申さしめけるも、許容なかりけれは、俄に, 〔上州新田雜記〕同記云、, (新田實城應永記), ヲ退去シ由, 良郷別〓ニ, 世良田ノ館, テ落飾ス, 蟄居ス, 政義出家ノ, 仁和寺ニ於, 理由, 寛元二年六月十七日, 四〇四

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  • (新田實城應永記)

頭注

  • ヲ退去シ由
  • 良郷別〓ニ
  • 世良田ノ館
  • テ落飾ス
  • 蟄居ス
  • 政義出家ノ
  • 仁和寺ニ於
  • 理由

  • 寛元二年六月十七日

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  • 四〇四

注記 (25)

  • 443,656,72,2150りけれハ、其例を存知て望給へりけるに、帝都警衞の奉行六波羅ゟおさへ、吹擧せられ
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