『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.651

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我弟子とし、つゐに、興山青巖兩寺の住職をゆつる, 十七年に入寂す、六十六歳, に告け、急に歸山して、葬儀を營み、同四月、追質のため、大曼茶羅供を興山寺, 情を盡せり、同十八年八月十六日、本多上野介正純、金地院崇傳長老の連署, 建立して移り住し、興山寺を以て、其弟子應昌に讓る、, に修し、大齋會を設けて、一千僧を供養し、嚴重に數日の勤行をなして、其孝, 其後、神祖駿府に御座を移されし時、勢譽を召れて、今より, を以て、先師の遺跡興山寺領を賜ひ、且、派中諸條制度すへき令命あり、, 後は、常に御前に伺候すへしとて、其寺地を下されしかは、文殊院を駿府に, 慶長十七年三月廿三日、譽師入寂の訃音あり、即官, 則如吾第二祖、大智大徳、而弗敢脉先于利他慈心者、然則祖也者、惟菩薩再來, 文殊院勢譽は、學徳才能、山中第一の聞へありしかは、木食上人、關白に申て, 〔高野山事略〕學侶行人兩派わのれたつ事、付文殊院の事、, 第三世應昌法印は, 之化雄矣耶、于嗟懿乎, 同, 慶長十七年三月二十三日, 後に身煩して、一溪道三に醫術を學ひて、其道を得たりき、其老たるをあ, 領ヲ分賜セラル, 慶長十三年の, ○慶, 神祖、此僧を三能僧と仰せられしは、博學武勇醫, ○中略關ケ原役ノトキ, 術の三ツなりといふ、〓つき時、弓矢打物とりて, 家康ニ伺候シ、ソノ後、寺, ルコト二カヽル, 事也といふ、, 略, 山中に變なし、織田信長と戰ひし時に、其軍將松山と組て首をとる、老衰の, ○中, 長、, 後に身煩して、一溪道三に醫術を學ひて、其道を得たりき、其老たるをあ, 三能僧, 溪道三, 醫術ヲ, 應昌, 學ブ, 慶長十七年三月二十三日, 六五一

割注

  • 領ヲ分賜セラル
  • 慶長十三年の
  • ○慶
  • 神祖、此僧を三能僧と仰せられしは、博學武勇醫
  • ○中略關ケ原役ノトキ
  • 術の三ツなりといふ、〓つき時、弓矢打物とりて
  • 家康ニ伺候シ、ソノ後、寺
  • ルコト二カヽル
  • 事也といふ、
  • 山中に變なし、織田信長と戰ひし時に、其軍將松山と組て首をとる、老衰の
  • ○中
  • 長、
  • 後に身煩して、一溪道三に醫術を學ひて、其道を得たりき、其老たるをあ

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  • 三能僧
  • 溪道三
  • 醫術ヲ
  • 應昌
  • 學ブ

  • 慶長十七年三月二十三日

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  • 六五一

注記 (39)

  • 843,641,63,1498我弟子とし、つゐに、興山青巖兩寺の住職をゆつる
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