『大日本史料』 6編 23 延文5年2月~康安元年12月 p.591

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りしか、貳百年前愚なる僧住持や有けん、其頃京都妙心寺の末寺となりた, の撰はれ玉はんとき、採擇の助にやと、御來屋の驛路に筆を取りぬ、, 西に淡路島、北に須磨赤石一の谷鐵〓峰、南に紀の海、阿波の鳴門遙に見へ, り、此寺の開祖として、雲樹寺と號し、勅額を賜りたるとだ、以前は一本寺た, き有、思召に叶ひぬれは、都に還幸の後にも、毎々御召て、三光國師の號を賜, れは、此度ものゝつひて、彼是と合せ、だの信僞の程も取正し、後の世國史抔, 經て、物古たる大伽藍也、本堂食堂の類は、火災を經て、今は新らしき、右之通, 元弘の遺蹟年月を經るに隨ひ、口碑に傳へる所も追々失て、其誤りのみと, なり、故家舊族も、後には知へからすなりもて行んは惜むへたのかきりな, り、惜むへし、山門佛殿は、矢張元弘年中の建立其儘にて、五百餘年の星霜を, 今濱寺と稱する所、南北廿四町、東西八町許、一面の眞砂地にして、古松多し、, 年中、三光國師の開創し給ふ大雄寺の古跡なり、伽藍巍々として封境廣し、, は此邊のものよく讀知識ある人と申候由申上ぬ、やかて御咄しの時御招, 濱寺舊趾北高石村の海濱にあり、むかし元亨, 〔和泉名所圖會〕, 安政五年戊午冬十月正墻薫草, 南朝正平十六年北朝康安元年五月二十四日, 大鳥郡, 二, 大雄寺ノ, 古跡, 南朝正平十六年北朝康安元年五月二十四日, 五九一

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  • 南朝正平十六年北朝康安元年五月二十四日

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注記 (23)

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