『大日本史料』 6編 25 貞治2年3月~貞治3年7月 p.966

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年の間の〓は、かの申状, を激勵し、四方強敵の間に介して、銕心石勝、勤王の志百折して小挫せす、剛, 上にもいひし如く、此時南朝衰弱、賞その功に酬はす、特り忠義を以て、將卒, 朽損も少からす、即惟澄の武功の〓きも、元弘三年より正平三年まて、十六, 衆、屡強寇を却そけ、いくはくの戰功ありし事は、上の文書にても略知らる、, にありて、地は僻遠の山中のみの事なるか故に、太平記等の諸書にも、その, にあらす、斬將〓旗の功の〓きも、如此其實の多かりしは、いと〳〵稀れな, 正の氣、松柏の操、老にいたつて盆堅かりしは、その忠誠未必楠菊二氏の下, さるを以て、本より多兵を養ふ事あたはす、此故に、かくの如く碎身粉骨、終, りけん、惜むへきの至なり、抑惟澄は、はしめ一族の分なれは、采邑も廣から, 十六年の間も、おもふに、まさに終始如一こそありつらんを、今傳ふる處の, る事にて、同時の官軍には、予いまた多く其比を見す、されと身は支庶の分, 名たにみへす、且當家記籍の如きも、先人の序文に記されたるか如く、散逸, 身經營して、終に世に傳ふる程の大功を悉得さりしは、いと憾むへき事な, りかし、されとわかきより心を王室に宅して、勇武絶倫、所向無敵、能以寡撃, にて略知られて、それより後同十九年まて、, 南朝正平十九年北朝貞治三年七月十日, 正平三, 年九月, 以テ多兵, 二氏ノ下, ラザルヲ, 忠誠楠菊, 采邑廣力, ヲ養ヒ難, 二アラズ, 南朝正平十九年北朝貞治三年七月十日, 九六六

割注

  • 正平三
  • 年九月

頭注

  • 以テ多兵
  • 二氏ノ下
  • ラザルヲ
  • 忠誠楠菊
  • 采邑廣力
  • ヲ養ヒ難
  • 二アラズ

  • 南朝正平十九年北朝貞治三年七月十日

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  • 九六六

注記 (28)

  • 336,814,60,700年の間の〓は、かの申状
  • 1173,808,62,2213を激勵し、四方強敵の間に介して、銕心石勝、勤王の志百折して小挫せす、剛
  • 1288,808,63,2216上にもいひし如く、此時南朝衰弱、賞その功に酬はす、特り忠義を以て、將卒
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