『大日本史料』 6編 34 応安4年閏3月~応安4年12月 p.291

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つ・へいつとかや申めり、此うらを壇のうらといふ事は、皇后のひとの國うちたまひし, の海の中に、十餘町はかりへたてゝ、島二むかへり、古の滿珠・干珠なるへし、今はおい, すさきの樣に出たる山侍き、くしさきといひて、若宮のたゝせたまひたる所なり、其東, るより、俄に霰かきみたれて、西ふく風あらましく吹おちつゝ、笠をたにとりあへぬほ, 鹽みちきつゝ、ひかたはえなんとをるましく侍とて、又山路になりて、小島といふうら, なる鳥居立たり、松はらむらたちたり、佳吉の御前のはまおほえたり、此御前うちすく, 似ぬ色もことにそありける島つ鳥うすはのかたに雪はふりつゝ, 居あり、このさと一むらすきて、神功皇后宮の御社の前に出たり、御やしろは南に向た, りきつゝ、ひかたの砂のいろもことに見ゆ、磯きはの岩のうへに鵜のむらかれゐたるも、, となり、とかくしてうすは潟といふひかたにうちいて侍き、霰はすこしやみて、又雪ふ, さとに出たり、松原をはるかに行過て、長門國府になりぬ、北はまとて東南にむきて家, り、それより山のうしとらに出たる尾上をは、御かり山といふなり、このはまのわたに, 八幡とそ申なる、御垣の前に西東へつなかれて、しほもかよひ侍りけり、橋わたして大, おりからみところ侍しほとに、, 壇浦, 滿珠島干珠, 神功皇后宮, ノ御社, 島, うすは潟, 南朝建徳二年北朝應安四年十月七日, 二九一

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  • 壇浦
  • 滿珠島干珠
  • 神功皇后宮
  • ノ御社
  • うすは潟

  • 南朝建徳二年北朝應安四年十月七日

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  • 二九一

注記 (22)

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