『大日本史料』 7編 1 明徳3年閏10月~応永2年3月 p.784

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〔舊典類聚〕, るへきに相應の所なれは、則久純を呼て仰けるは、我三州の宰主として、當, 元久公鹿兒嶋居城初福昌寺建立之事, 今、無不生思慕畏服之誠者、, も、我に獻せは寺を建立せんと仰けれは、長谷場則領掌申、宅地を立明、元久, 公へ獻しける間、一家國方御内人々に内義有て、應永元年造立を遂させ玉, 國に一寺を建立せん事も無念なりと、御邊か居處は先祖相傳の地なれと, 向有て、元久公え一□を示給、元久公此禪味覺し玉へは、薩州に一寺を建、後, 世菩提を弔るへしと、其境地を撰に、長谷場六郎久純か居城の地は、寺を建, 就して、玉龍山福昌寺と號して、末代守護菩提の境地と成にける、, ふ、則石屋和尚爲開山、いまた山門法堂こそは不足なれとも、其外は營作成, 誠ニ末代不易、御菩提ノ勝地ナラスヤ、聞此院ノ名、仰明師之徳、如泰斗、到于, 〓に石屋和尚とて、薩州伊十院領主長門守忠國十一番目の子也、久し, く遍歴して、其徳四海に溢れけれは、貴賤の尊敬不少、されは和尚薩州に下, 〔島津國史〕, 〓國擾亂記卷第二九州之探題六ケ國に下向、氏久公對面、并, 翁公久哲公下應永元年、恕翁公、求長谷場之地於長谷場久, ○上, 八上, 略, 八, 〓翁公久哲公下, 法堂具ハ, 未ダ山門, 元久福昌, 示ス, ヲ元久ニ, 眞梁一偈, ラズ, 寺ヲ菩提, 寺ト爲ス, 應永元年是歳, 七八四

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  • ○上
  • 八上
  • 〓翁公久哲公下

頭注

  • 法堂具ハ
  • 未ダ山門
  • 元久福昌
  • 示ス
  • ヲ元久ニ
  • 眞梁一偈
  • ラズ
  • 寺ヲ菩提
  • 寺ト爲ス

  • 應永元年是歳

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  • 七八四

注記 (33)

  • 1587,635,88,346〔舊典類聚〕
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