『大日本史料』 7編 3 応永4年是歳~同6年6月 p.180

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正月廿二日、辛未、, 十七日の條に, 十三日の條に、, 廟陵考補遺の後編に述へるか如くなるへし, りしこと明なれは、その御遺跡かならすこの地にあるへく、又御骨所のこ, の大光明寺跡兌長老に、今發けなから傳はりたる御陵は、その御遺跡のひ, にて低く、西北東三方に小隍を堀めくらしたる中に、石四つ許發出たる處、, 字を兌長老とよへる地の竹藪の坤隅にあり、周圍二十丈許あり、南は切岸, と諸書にみえされと、同しく此大光明寺におはしますへく思奉らるを、こ, 見え、山州名跡志に、兌長老は字なり、此所は禪刹の僧録司承兌長老の居所, とつなるへきこと、上に引たる諸書ともに考合せて知られたり、猶委くは、, 也、依號之、然當所の古跡大光明寺を至再興、因招請移住彼所なとみえて、こ, 山上、今云兌長老屋敷是也、豐臣秀吉公被築伏見城時、被遷洛北相國寺内と, この御陵にそ當るへき、さるは山城名勝志に、土人云、大光明寺元在月橋院, と見え、迎陽記、同年, の兌長老は、大光明寺の舊跡なること明白なるに、應永五年敦有卿記、正月, 云々なとみえて、大光明寺にて御茶毘あ, ○中略、本月二十, ○諸陵説、廟陵考, 三日ノ條ニ收ム、, ○中略、本月二十, 補遺異事ナシ, 三日ノ條ニ收ム, ○中略、上, ニ收ム, ○, 兌長老ハ, 大光明寺, ノ故地, 長老, 伏見字兌, 應永五年正月十三日, 一八〇

割注

  • ○中略、本月二十
  • ○諸陵説、廟陵考
  • 三日ノ條ニ收ム、
  • 補遺異事ナシ
  • 三日ノ條ニ收ム
  • ○中略、上
  • ニ收ム

頭注

  • 兌長老ハ
  • 大光明寺
  • ノ故地
  • 長老
  • 伏見字兌

  • 應永五年正月十三日

ノンブル

  • 一八〇

注記 (33)

  • 826,668,59,488正月廿二日、辛未、
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