『大日本史料』 7編 11 応永15年11月~同16年6月 p.38

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是をこそ奇代の珍事かなと申合ける處に、, とも、國費え、民くるしみなは、かへつて亂の端となるへきゆゑに、只假初のやうに御屋, えあかり、黒煙天を焦し、地に盈たり、滿兼は百餘騎にて、完戸遠江入道か館に入給ふ、, ふ則は、假使三徑荒に就、四壁垣まはらにして、茅茨剪らす、柴椽削らすとも、本所は是, 忘れさる時節なれは、國々の地頭、御家人等に、所領に付て課役をかけらるへしといへ, 頃東國無爲の化に歸して、諸民安堵の思ひをいたすといへ共、猶いまた困窮のうれへを, 權威たかく、管領は猶徳澤をほとこすに足り、實に國家安全の政道、命運長久の祕計也、, けしく吹布て、炎とひちりけれは、棟をならへ、軒を輾りて造り〓れし殿中、同時にも, き、奢侈をとゝめて、儉約を守るに如なし、仁徳すてに天地に應し、禮讓また人望にかな, 形を取立、さのみに美麗造營の沙汰にも及はす、八月廿七日に上棟の事あり、同しき十, 二月に作りをさめられ、御移徙おはしけり、國家を治むる正道は、民をめくみ、費を省, 同十五年七月十三日、御所新造の釘のはしめあり、上杉右衞門佐氏憲これを奉行す、此, 同しき十四年八月廿九日の夜、鎌倉の御所、遠侍の間より失火もえ出て、折ふし濱風は, 鎌倉の新御所造營, 〔中古日本治亂記〕七鎌倉滿兼ノ御所燒失并圓覺寺回祿事, ○下略、圓覽寺炎上ノコトニカヽ, ル、十四年十一月六日ノ條ニ收ム, ヲ事トセ, ヨリ出火, 造營美麗, 遠侍ノ間, ズ, 應永十五年十二月七日, 三八

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  • ○下略、圓覽寺炎上ノコトニカヽ
  • ル、十四年十一月六日ノ條ニ收ム

頭注

  • ヲ事トセ
  • ヨリ出火
  • 造營美麗
  • 遠侍ノ間

  • 應永十五年十二月七日

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  • 三八

注記 (24)

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