『大日本史料』 7編 22 応永22年正月~同年8月 p.165

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伊勢・志摩三ケ國并大和宇多の郡の軍勢を催されけるに、俊康はかりは同心せす、やか, かは、國司滿泰卿大にいかり、義兵を起し、武家と勝負を決せんとの給ひける、伊賀, て在京し給ひけり、扨多藝御所にて軍評定有けるに、父祖の遺訓にそむき、おのれひと, り義滿にへつらひて、人もなけにしつる俊康か日比のさたもにくかりしに、また今京に, 對足利家義持公有謀叛事、將軍命近江六角家、伊賀仁木家、大和筒井・越智・十市・久, 方斷水渡、送日數攻之、城既水〓、時城中〓謀、立馬於櫓前、以柄酌汲白米洗馬欺之、, 有なれは、留守の郎等思ひ〳〵にて、手に立ほとのこと有ましきそ、先つ坂の内の城攻, 家之大名此國司一人也、然而稱光院御宇應永廿二年乙未、伊勢國司北畠大納言滿雅卿、, 世・滿西、當國長野雲林院・關・神戸・峯・千草以下之軍勢攻之、國司、作要害於南伊, 攻衆思有水退陣云々、, 應永廿一年になりけれは、武家約にそむき、南帝の皇子を御くらひに即奉らさりし, 勢之諸所而防之、傳聞、此時阿坂山上立城防敵、公方勢不得攻落之、唯謀高山無水而四, 凡侍九千人、内馬上千五百騎、小人六千人、合一萬五千之大將也、皇家衰微之後者、公, 〔伊勢之卷〕〓内關文庫本, ○上, ○下, 略, 略, 應永二十二年四月四日, 一六五

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  • ○上
  • ○下

  • 應永二十二年四月四日

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  • 一六五

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