『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.751

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

り攻戰ふといへとも、戸木之城究竟之城地、殊と具康文武に達し、幕下郎, 寄手大勢にて四方より取圍より、牧、河方之兩城を宮山之出張を無是非, 等武功之者數多楯籠り、命を不惜心を一致として防けるより、急こ本城, 被攻取無念也、明日は具康父子出陣して、飛騨守と一戰を遂ケ、有無之一, つを極〓しと仰られけれは、朴木左京進申けるは、仰御尤なり、乍去三河, 無盆なる〓しとて、取て返し引取なり、其後寄手より度々こ及ひ、四方よ, 守家康公勢州え頓而御馬を入〓しとの事なれは、先城を堅固にして御, 中川庄藏、田中仁右衞門、其外相催して、刑部少輔出張之陣所は〓掛り、相, 戰ける、後備是を聞付、鑓先を揃へ馳加りしかば、庄藏、仁右衞門、大勢圍れ, 座候けるか肝要なり、其内こも敵方より攻來らは、不及云此方よりも防, 子も家康公之攻來給ん事至極候て、出陣の儀は止みになる、, 榊原刑部少輔は羽野に陣を取、せり合之戰ひ度々となり、或時城方より、, だし、先明日も御出馬は御止り被遊候はんこそ可然と申けれは、具康父, 同六月三日、木造左衞門佐具康、嫡子具政、侍共を不殘集めと被仰けるは、, 天正十二年七月十二日, ノ條二見ユ、, 七月十三日, ○家康、伊勢, 一入ルコト、, 具政善ク, 防グ, 二出馬十, ントス, 家康伊勢, 天正十二年七月十二日, 七五一

割注

  • ノ條二見ユ、
  • 七月十三日
  • ○家康、伊勢
  • 一入ルコト、

頭注

  • 具政善ク
  • 防グ
  • 二出馬十
  • ントス
  • 家康伊勢

  • 天正十二年七月十二日

ノンブル

  • 七五一

注記 (26)

  • 399,696,72,2145り攻戰ふといへとも、戸木之城究竟之城地、殊と具康文武に達し、幕下郎
  • 1823,705,68,2137寄手大勢にて四方より取圍より、牧、河方之兩城を宮山之出張を無是非
  • 287,694,69,2141等武功之者數多楯籠り、命を不惜心を一致として防けるより、急こ本城
  • 1706,698,71,2133被攻取無念也、明日は具康父子出陣して、飛騨守と一戰を遂ケ、有無之一
  • 1591,707,67,2133つを極〓しと仰られけれは、朴木左京進申けるは、仰御尤なり、乍去三河
  • 516,697,72,2139無盆なる〓しとて、取て返し引取なり、其後寄手より度々こ及ひ、四方よ
  • 1475,700,70,2142守家康公勢州え頓而御馬を入〓しとの事なれは、先城を堅固にして御
  • 758,701,72,2141中川庄藏、田中仁右衞門、其外相催して、刑部少輔出張之陣所は〓掛り、相
  • 637,696,72,2144戰ける、後備是を聞付、鑓先を揃へ馳加りしかば、庄藏、仁右衞門、大勢圍れ
  • 1361,697,68,2145座候けるか肝要なり、其内こも敵方より攻來らは、不及云此方よりも防
  • 1128,701,65,1800子も家康公之攻來給ん事至極候て、出陣の儀は止みになる、
  • 885,690,70,2165榊原刑部少輔は羽野に陣を取、せり合之戰ひ度々となり、或時城方より、
  • 1244,703,68,2133だし、先明日も御出馬は御止り被遊候はんこそ可然と申けれは、具康父
  • 1939,701,67,2153同六月三日、木造左衞門佐具康、嫡子具政、侍共を不殘集めと被仰けるは、
  • 195,701,46,422天正十二年七月十二日
  • 1006,707,38,330ノ條二見ユ、
  • 1043,705,46,330七月十三日
  • 1151,2522,45,318○家康、伊勢
  • 1110,2528,38,318一入ルコト、
  • 571,263,40,164具政善ク
  • 525,262,38,77防グ
  • 1503,278,33,148二出馬十
  • 1464,275,32,110ントス
  • 1544,269,42,170家康伊勢
  • 195,701,46,423天正十二年七月十二日
  • 185,2429,44,106七五一

類似アイテム