『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.752

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城え歸城し, 戰給ひける、敵陣より流れ矢來りて、具康面に當り、矢疵を蒙り給ひける, は可落とも見へをりけり、依之上野介信兼、飛騨守氏郷談合して、免角ケ, を乞て、木造勢を待けれとも、木造方こは、苅田之爲出張したる事なれは、, 生駒を不攻、思ふ儘苅田をさ〓、引取なり、如斯度々せり合と合戰有し也、, 後木造之軍兵海野、畑、金子等は、左表え打出けり、生駒彌五左衞門尉加勢, に依て、木造勢いかりをなし、揉みにもんて踏込相戰ひける、源左衞門不, 樣なる城を一旦ヒ攻落さんとせば、味方之軍兵を討せ、無盆なる〓し、兵, 數多して、自然退治す〓きなりと評議相究之、氏郷ゟ之押へは、蒲生佐介、, 一同七月十二日、木造勢左衞門佐具康、須ケ瀬表え打出、坂源左衞門尉と相, 叶して引退く、木造方には深追もせす、敵少々討取、戸木之城え引取也、其, 同源左衞門、同彌五左衞門、同忠左衞門等也、信兼より之襲は分部左京亮、, 上野國織田上野介信包モ、氏郷ト同時ニ勢州安濃津ヲ賜リケリ、斯テ木造, 中尾内藏允、守岡金介、家所帶刀にて、此等を付城こ置、上野介信兼は津之, 〔蒲生軍記〕三木造軍之事, 天正十二年七月十二日, カヽル、八月十四日ノ條ニ收ム、, ○下略、賦秀、佐田ヲ攻ムルコト, 津ニ歸ル, 信包阿濃, 具政須ケ, 瀬ニ戰フ, 七五二

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  • カヽル、八月十四日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、賦秀、佐田ヲ攻ムルコト

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  • 津ニ歸ル
  • 信包阿濃
  • 具政須ケ
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  • 七五二

注記 (23)

  • 1220,692,60,346城え歸城し
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