『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.224

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れとも、氏郷勢を納により、合戰なし、木造方こも戸木之城え引退也、, りける、瞳と跪きけるを、頓て首をそ討取ける、されとも氏郷之勢次第と掛合せ、竟に木造, 地原善五郎、遠山助左衞門、遠藤右衞門、大塚彌三郎、島貫作左衞門以下之侍、雜兵合三拾, るとなり、氏郷之助太刀田中新平と名乘て、庄藏と渡し合せて戰ひけるか、新平如何した, 六人討死なり、氏郷之侍には、外池長吉、田中新平、黒川西弁以下數多討死なり、戸木之城, とも此事を追々告來りしかは、柘植、海津、奧田、佐藤、河原田、朴木等一騎掛ケこ馳向ひけ, 衞、菅沼助右衞門、野田龜之進等各鎗を提ケ、木造勢こ〓掛り、呼〓ひ相戰ふ、木造勢畑、金, 子、田中、中川以下眞丸と成て、大將を目がけて、一足も不引退、鎗を合せて相戰ふ、氏郷鯰, へて、若侍七八騎を卒、揉みにもんて馳來給ひける、諸勢は追々に馳來る也、外池孫左衞門, 之前こ乘せ、仁左衞門尻馬と乘て手綱を取る、落合之淵を乘越、無難に引取なり、木造侍, 勢破れ軍に成にける、田中仁左衞門は、馬乘にて相戰ける、不叶と見て、畑作兵衞を我か馬, 尾之甲こも鐵炮言當り、鎧丸鑓疵數多也、中川庄藏、氏郷と渡し合せて、太刀打し、疵を蒙, 尉出向ひ、小川こおゐて、敵引退しよし言上す、氏郷聞もあへす、直に須ケ瀬に攻掛り、鬪, を作りける、氏郷之侍には、岩田市右衞門、舍弟平藏、岡儀大夫、舍弟半兵衞、小村彌五兵, 奄藝郡一身田高田山專修寺御門跡大僧正堯慧上人戸木に來り給ひて、木造父子を宥めら, 天正十二年九月十五日, 專修寺堯, 慧ノ扱ニ, 天正十二年九月十五日, 二二四

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注記 (20)

  • 279,675,65,1686れとも、氏郷勢を納により、合戰なし、木造方こも戸木之城え引退也、
  • 964,662,69,2207りける、瞳と跪きけるを、頓て首をそ討取ける、されとも氏郷之勢次第と掛合せ、竟に木造
  • 620,665,72,2213地原善五郎、遠山助左衞門、遠藤右衞門、大塚彌三郎、島貫作左衞門以下之侍、雜兵合三拾
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  • 507,664,70,2206六人討死なり、氏郷之侍には、外池長吉、田中新平、黒川西弁以下數多討死なり、戸木之城
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