『大日本史料』 11編 13 天正13年正月 p.71

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胴勢は地川の左右前後に殘し、究竟の勇士三百計り攻登る處に、落し穴多く有けるをし, 俵をならへ、小金井四郎右衞門坂半分下りて下知しけるか、成田勢貳百餘人、彼石弓に, らすして登りけるか、城兵は谷間の藪陰に待かけ、散々に射立、大石を落しかくる、元, うたれ死しけれは、續く勢は一雪頽に谷へ轉ひ落、後陣の族ハ遠矢に當り、角ある碌岩, 守・厩橋道見・松山外記三百五十騎、奇西・川越・鉢形勢五千計、淺羽甚内案内者にて、, をなけかけられ、歩卒二百人計り命を失ふ、山上郷右衞門下知して、強戸・〓田澤の啜, へ組して館林の勢新田・足利へ乘入は、其虚へ攻入へしとて、羽田内膳・小森伊織百五, 十騎を差向、又名和・伊勢崎・厩橋道見・淺羽甚内を語らひ、小田原勢の案内者となり, 金鞍を鳴し攻寄る、城兵は射手を勝りて百餘人、前後に引連、通の峯には石弓・丸木・土, まて引取けるに城内には手負・死人壹人もなし、熊野口寄手は、北條奥州・伊勢大和, 金山在城の著到を付るに、侍七百三十、雜兵三千と記す、成田左衞門佐長康は、小田原, 一六月上旬、敵金山へ押寄、長手口よりは北條房州、多目・山上、及成田長康等千五百餘, ぬ、, 此所に見ゆる根岸三彌、及根, 岸三河と云者子孫しらす、, 小田原勢金, 山へ押寄ス, 天正十三年正月一日, 七一

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  • 此所に見ゆる根岸三彌、及根
  • 岸三河と云者子孫しらす、

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  • 小田原勢金
  • 山へ押寄ス

  • 天正十三年正月一日

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  • 七一

注記 (19)

  • 365,655,59,2231胴勢は地川の左右前後に殘し、究竟の勇士三百計り攻登る處に、落し穴多く有けるをし
  • 1004,654,58,2233俵をならへ、小金井四郎右衞門坂半分下りて下知しけるか、成田勢貳百餘人、彼石弓に
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